十善法語 / 巻第二・不偸盜戒
今且ク世教ニ比對シテ大道ヲ云ヘシ。有智ノ人我執ヲ離レ。心ヲ平ニシテ看ヨ。嵩明教等ノ說ニ依ニ。前不殺生ハ仁ニ配シ。此不偸盜ヲ義ニ配シ。不邪婬ハ禮ニ配シ。不妄語ハ信ニ配シ。不飮酒ヲ智ニ配ス。此十善ノ中ハ飮酒ヲ制セサル故。今義ニ依テ不邪見ヲ智ニ配スルシヤ。此中不殺生戒ヲ仁ニ配スルモ的當テハナイ。仁ト云ハ支那國上代ノ教テ。今千載ノ後ハ。其字義スラ解シ難イ。或者ハ愛ノ理。心ノ德ト。ムツカシク說出ス。或者ハ唯愛ナリト心易ク說示ス。又或者ハ王者ノ人民ヲ治ルニ名ヲ得ト云。唐朝ノ韓愈ハ。道ト德トハ虛シキ位。仁ト義トハ定レル名ト云。戰國ノ時ノ莊周ハ。盜跖モ此仁義ヲ用フルト云。韓非子ナトハ。仁ト義トハ虛文ニテ。名分ノミ正シト云。所詮只書生ノ類カ。唯書物ノ上ニテ。我好ム所ニ隨テ色色ニ判斷シテ見ルマテノコトシヤ。古今上下。貴賤男女。智愚賢不肖ニ推通シテ。身ニ行ハセ心ニ得サセラルル道テナイ。
新字:今且ク世教ニ比対シテ大道ヲ云ヘシ。有智ノ人我執ヲ離レ。心ヲ平ニシテ看ヨ。嵩明教等ノ説ニ依ニ。前不殺生ハ仁ニ配シ。此不偸盗ヲ義ニ配シ。不邪婬ハ礼ニ配シ。不妄語ハ信ニ配シ。不飲酒ヲ智ニ配ス。此十善ノ中ハ飲酒ヲ制セサル故。今義ニ依テ不邪見ヲ智ニ配スルシヤ。此中不殺生戒ヲ仁ニ配スルモ的当テハナイ。仁ト云ハ支那国上代ノ教テ。今千載ノ後ハ。其字義スラ解シ難イ。或者ハ愛ノ理。心ノ徳ト。ムツカシク説出ス。或者ハ唯愛ナリト心易ク説示ス。又或者ハ王者ノ人民ヲ治ルニ名ヲ得ト云。唐朝ノ韓愈ハ。道ト徳トハ虚シキ位。仁ト義トハ定レル名ト云。戦国ノ時ノ荘周ハ。盗跖モ此仁義ヲ用フルト云。韓非子ナトハ。仁ト義トハ虚文ニテ。名分ノミ正シト云。所詮只書生ノ類カ。唯書物ノ上ニテ。我好ム所ニ随テ色色ニ判断シテ見ルマテノコトシヤ。古今上下。貴賤男女。智愚賢不肖ニ推通シテ。身ニ行ハセ心ニ得サセラルル道テナイ。
書き下し
今且ク世教ニ比対シテ大道ヲ云ヘシ。有智ノ人我執ヲ離レ。心ヲ平ニシテ看ヨ。嵩明教等ノ説ニ依ニ。前不殺生ハ仁ニ配シ。此不偸盗ヲ義ニ配シ。不邪婬ハ礼ニ配シ。不妄語ハ信ニ配シ。不飲酒ヲ智ニ配ス。此十善ノ中ハ飲酒ヲ制セサル故。今義ニ依テ不邪見ヲ智ニ配スルシヤ。此中不殺生戒ヲ仁ニ配スルモ的当テハナイ。仁ト云ハ支那国上代ノ教テ。今千載ノ後ハ。其字義スラ解シ難イ。或者ハ愛ノ理。心ノ徳ト。ムツカシク説出ス。或者ハ唯愛ナリト心易ク説示ス。又或者ハ王者ノ人民ヲ治ルニ名ヲ得ト云。唐朝ノ韓愈ハ。道ト徳トハ虚シキ位。仁ト義トハ定レル名ト云。戦国ノ時ノ荘周ハ。盗跖モ此仁義ヲ用フルト云。韓非子ナトハ。仁ト義トハ虚文ニテ。名分ノミ正シト云。所詮只書生ノ類カ。唯書物ノ上ニテ。我好ム所ニ随テ色色ニ判断シテ見ルマテノコトシヤ。古今上下。貴賤男女。智愚賢不肖ニ推通シテ。身ニ行ハセ心ニ得サセラルル道テナイ。
現代語訳
今しばらく世の教えと比べて大道を言おう。智ある人は我執を離れ、心を平らにして見なさい。契嵩(明教大師)らの説によれば、前の不殺生は仁に配し、この不偸盗を義に配し、不邪婬は礼に配し、不妄語は信に配し、不飲酒を智に配する。この十善の中には飲酒を制していないので、今は意味によって不邪見を智に配するのである。この中で、不殺生戒を仁に配するのも的を射てはいない。仁というのは中国の上代の教えで、今は千年の後なので、その字の意味さえ解しがたい。ある者は「愛の理、心の徳」と難しく説き出す。ある者は「ただ愛である」とたやすく説き示す。またある者は「王者が人民を治めることに名を得る」と言う。唐の韓愈は「道と徳とは空の位であり、仁と義とは定まった名である」と言う。戦国時代の荘周は「盗跖もこの仁義を用いる」と言う。韓非子などは「仁と義とは虚飾の文であって、名分だけが正しい」と言う。結局ただ書生の類が、ただ書物の上で、自分の好む所に従っていろいろに判断して見るまでのことである。古今上下、貴賤男女、智愚賢不肖に通じて、身に行わせ心に得させることのできる道ではない。
解説

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