十善法語 / 巻第五・不綺語戒
經中ニカク說テアル。正法千年ヲ過テ後ハ賢聖跡ヲカクシ。法式漸次ニ違ヒ。相似ヨリ相似ニ轉ス。像法千年ヲ過テハ其規則模樣タモ違ヒ唯剃髮染衣ノ相ノミアルト。此正像末ノ式カ通途劣機ノ者ノ當リ分齊シヤ。シカシ大根機ノ者ハ此三時ヲ超越スルト云コトシヤ。曇無識三藏ノ持地戒本ノ跋ニ。ヨク此法ヲ奉持スル者ハ相似ノ法ヲシテ實義熾然ナラシメ。正法ヲシテ永ク滅盡セサラシムトアル。有志ノ者ノ策勵スヘキトコロシヤ。
新字:経中ニカク説テアル。正法千年ヲ過テ後ハ賢聖跡ヲカクシ。法式漸次ニ違ヒ。相似ヨリ相似ニ転ス。像法千年ヲ過テハ其規則模様タモ違ヒ唯剃髪染衣ノ相ノミアルト。此正像末ノ式カ通途劣機ノ者ノ当リ分斉シヤ。シカシ大根機ノ者ハ此三時ヲ超越スルト云コトシヤ。曇無識三蔵ノ持地戒本ノ跋ニ。ヨク此法ヲ奉持スル者ハ相似ノ法ヲシテ実義熾然ナラシメ。正法ヲシテ永ク滅尽セサラシムトアル。有志ノ者ノ策励スヘキトコロシヤ。
書き下し
経中ニカク説テアル。正法千年ヲ過テ後ハ賢聖跡ヲカクシ。法式漸次ニ違ヒ。相似ヨリ相似ニ転ス。像法千年ヲ過テハ其規則模様タモ違ヒ唯剃髪染衣ノ相ノミアルト。此正像末ノ式カ通途劣機ノ者ノ当リ分斉シヤ。シカシ大根機ノ者ハ此三時ヲ超越スルト云コトシヤ。曇無識三蔵ノ持地戒本ノ跋ニ。ヨク此法ヲ奉持スル者ハ相似ノ法ヲシテ実義熾然ナラシメ。正法ヲシテ永ク滅尽セサラシムトアル。有志ノ者ノ策励スヘキトコロシヤ。
現代語訳
経の中にこう説いてある。正法の千年を過ぎて後は、賢聖が跡を隠し、法式が次第に違い、似たものからさらに似たものへと移っていく。像法の千年を過ぎては、その規則や模様さえも違い、ただ剃髪して染衣を着る姿だけがある、と。この正法・像法・末法の区分は、一般に劣った機根の者に当てはまる分際である。しかし大きな機根の者は、この三時を超越するということである。曇無讖三蔵の持地戒本の跋に、よくこの法を奉持する者は、似た法をして真実の義を盛んにさせ、正法をして永く滅び尽きないようにさせる、とある。志ある者が策励すべきところである。
解説

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