十善法語 / 巻第七・不兩舌戒
世教ノ中ニ。論語ニ樊遲請學稼。子曰。吾不如老農。請學爲圃。曰。我不如老圃トアル。此十善ノ道ヨリ看ハ。儒者君子ノ分際テハ。耕稼ノコトハ知ズシテ可ナリシヤ。タトヒ少時貧賤テ。鄙事ニ多能ナルモ。老農老圃ニ讓ルベキシヤ。古語ニ。耕問奴織問婢ト云。此等モ格言ト云ヘキシヤ。聖人賢者タリトモ事ニヨリテハ婢子奴僕ニ及ヌガ十善ノ道シヤ。婢ノ長處ニハ婢ヲ用ヒ。奴ノ長處ニハ奴ヲ用フルカ。十善ノ道シヤ。一家ノ主タル者ハ必一家統領ノ智慧ガアル。此場處ハカシコキ奴僕ノ才覺ヨリモ。通途ノ主人ガ勝ルモノシヤ。若下人トシテ主人ヲ蔑ニスル者ハ。必天命ニ背キテ。自ノ善果報ヲ減スルシヤ。假令愚ナル奴僕モ。主人ヲ大切ニスル者ハ。其善果報增長スル。十善ノ法カクノ如シヤ。
新字:世教ノ中ニ。論語ニ樊遅請学稼。子曰。吾不如老農。請学為圃。曰。我不如老圃トアル。此十善ノ道ヨリ看ハ。儒者君子ノ分際テハ。耕稼ノコトハ知ズシテ可ナリシヤ。タトヒ少時貧賤テ。鄙事ニ多能ナルモ。老農老圃ニ譲ルベキシヤ。古語ニ。耕問奴織問婢ト云。此等モ格言ト云ヘキシヤ。聖人賢者タリトモ事ニヨリテハ婢子奴僕ニ及ヌガ十善ノ道シヤ。婢ノ長処ニハ婢ヲ用ヒ。奴ノ長処ニハ奴ヲ用フルカ。十善ノ道シヤ。一家ノ主タル者ハ必一家統領ノ智慧ガアル。此場処ハカシコキ奴僕ノ才覚ヨリモ。通途ノ主人ガ勝ルモノシヤ。若下人トシテ主人ヲ蔑ニスル者ハ。必天命ニ背キテ。自ノ善果報ヲ減スルシヤ。仮令愚ナル奴僕モ。主人ヲ大切ニスル者ハ。其善果報增長スル。十善ノ法カクノ如シヤ。
書き下し
世教ノ中ニ。論語ニ樊遅請学稼。子曰。吾不如老農。請学為圃。曰。我不如老圃トアル。此十善ノ道ヨリ看ハ。儒者君子ノ分際テハ。耕稼ノコトハ知ズシテ可ナリシヤ。タトヒ少時貧賤テ。鄙事ニ多能ナルモ。老農老圃ニ譲ルベキシヤ。古語ニ。耕問奴織問婢ト云。此等モ格言ト云ヘキシヤ。聖人賢者タリトモ事ニヨリテハ婢子奴僕ニ及ヌガ十善ノ道シヤ。婢ノ長処ニハ婢ヲ用ヒ。奴ノ長処ニハ奴ヲ用フルカ。十善ノ道シヤ。一家ノ主タル者ハ必一家統領ノ智慧ガアル。此場処ハカシコキ奴僕ノ才覚ヨリモ。通途ノ主人ガ勝ルモノシヤ。若下人トシテ主人ヲ蔑ニスル者ハ。必天命ニ背キテ。自ノ善果報ヲ減スルシヤ。仮令愚ナル奴僕モ。主人ヲ大切ニスル者ハ。其善果報增長スル。十善ノ法カクノ如シヤ。
現代語訳
世間の教えの中では、論語に、樊遅が農作を学びたいと請うた。孔子は言った。私は老いた農夫に及ばない。畑作りを学びたいと請うた。言った。私は老いた園丁に及ばない、とある。この十善の道から見れば、儒者や君子の分際では、耕作のことは知らなくてもよいのである。たとえ若いころ貧しく賤しくて、つまらない仕事に多能であっても、老いた農夫や園丁に譲るべきである。古語に、耕すことは下男に問い、機織りは下女に問え、という。これらも格言と言うべきである。聖人賢者であっても、事によっては下女や下男に及ばないのが十善の道である。下女の長所には下女を用い、下男の長所には下男を用いるのが、十善の道である。一家の主である者には、必ず一家を統べる智慧がある。この場面では、賢い下男の才覚よりも、普通の主人が勝るものである。もし下の者として主人をないがしろにする者は、必ず天命に背いて、自分の善い果報を減らすのである。たとえ愚かな下男でも、主人を大切にする者は、その善い果報が増す。十善の法はこのようなものである。
解説
この章句が説くこと
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