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十善法語 / 巻第十二・不邪見戒之下

又前漢于定國カ父于公カ。此門ヨリ駟馬ノ車ヲ出スヘキソト。漢鄧禹カ吾百萬ノ兵ニ將トシテ。未嘗テ妄ニ一人ヲ殺サス。後世必興ル者有ント。于公カ後ハ于定國カ封侯ヲ得ル。鄧禹カ後ハ鄧皇后カ國母ト爲タシヤ。此類古今多キシヤ。正法ノ東流セヌ已前モ。道ハカクレスシヤ。佛出世ニモアレ。佛未出世ニモアレ。蔽テ蔽ハレヌシヤ。又鬼神ト云モノ。此モ蔽テ蔽ハレヌシヤ。隱シテカクサレヌシヤ。古人カ幽ニシテ鬼神トナリ。明ニシテ人トナルト云モ。且ク人間肉眼ヨリ云言葉シヤ。三界夢裡ノ差別。何ノ處カ幽暗ナラサルヘク。法性等流ノ緣起。何ノ處カ顯明ナラサルヘキシヤ。

新字:又前漢于定国カ父于公カ。此門ヨリ駟馬ノ車ヲ出スヘキソト。漢鄧禹カ吾百万ノ兵ニ将トシテ。未嘗テ妄ニ一人ヲ殺サス。後世必興ル者有ント。于公カ後ハ于定国カ封侯ヲ得ル。鄧禹カ後ハ鄧皇后カ国母ト為タシヤ。此類古今多キシヤ。正法ノ東流セヌ已前モ。道ハカクレスシヤ。仏出世ニモアレ。仏未出世ニモアレ。蔽テ蔽ハレヌシヤ。又鬼神ト云モノ。此モ蔽テ蔽ハレヌシヤ。隠シテカクサレヌシヤ。古人カ幽ニシテ鬼神トナリ。明ニシテ人トナルト云モ。且ク人間肉眼ヨリ云言葉シヤ。三界夢裡ノ差別。何ノ処カ幽暗ナラサルヘク。法性等流ノ縁起。何ノ処カ顕明ナラサルヘキシヤ。

書き下し

又前漢于定国カ父于公カ。此門ヨリ駟馬ノ車ヲ出スヘキソト。漢鄧禹カ吾百万ノ兵ニ将トシテ。未嘗テ妄ニ一人ヲ殺サス。後世必興ル者有ント。于公カ後ハ于定国カ封侯ヲ得ル。鄧禹カ後ハ鄧皇后カ国母ト為タシヤ。此類古今多キシヤ。正法ノ東流セヌ已前モ。道ハカクレスシヤ。仏出世ニモアレ。仏未出世ニモアレ。蔽テ蔽ハレヌシヤ。又鬼神ト云モノ。此モ蔽テ蔽ハレヌシヤ。隠シテカクサレヌシヤ。古人カ幽ニシテ鬼神トナリ。明ニシテ人トナルト云モ。且ク人間肉眼ヨリ云言葉シヤ。三界夢裡ノ差別。何ノ処カ幽暗ナラサルヘク。法性等流ノ縁起。何ノ処カ顕明ナラサルヘキシヤ。

現代語訳

また前漢の于定国の父の于公は、この門から四頭立ての馬車を出す者が出るはずだ、と言った。後漢の鄧禹は、私は百万の兵を率いて、いまだかつてみだりに一人も殺したことがない、後の世に必ず家を興す者が出るだろう、と言った。于公の後には于定国が封侯を得た。鄧禹の後には鄧皇后が国母となったのである。このような例は古今に多い。正法が東へ伝わる以前にも、道は隠れなかったのである。仏が世に出られた時であれ、まだ世に出られない時であれ、覆っても覆い隠されないのである。また鬼神というものも、これもまた覆っても覆い隠されない。隠しても隠しおおせない。古人が、幽においては鬼神となり、明においては人となる、と言うのも、しばらく人間の肉眼から言った言葉である。三界という夢の中の差別においては、どこが幽暗でないことがあろうか。法性から等しく流れ出た縁起においては、どこが明らかでないことがあろうか。

解説

漢書に見える于公は、獄を公平に裁いた人で、門を高く造らせて子孫の出世を予期し、実際に子の于定国が丞相となった。後漢の鄧禹は光武帝の功臣で、みだりに人を殺さなかったことを誇り、のちに孫娘が和帝の皇后となった。尊者はこれらを、仏法が伝わる前から善悪の報いの道は隠れていなかった証とする。さらに鬼神の世界も、幽と明の区別は人の肉眼の都合にすぎないと言う。見えないから無いのではない。目に見える成果だけで物事を判断しがちな時にこそ、立ち止まらせる一節である。

この章句が説くこと

因果陰徳鬼神法性于公鄧禹

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