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十善法語 / 巻第十・不邪見戒之上

蛭ノ腹カ破レテ蜻蜓カ出ル。此蜻蜓ヲ蛭ノ後身トハ云レヌ。試ニ看ヨ。アラメ昆布ノ類ヲ溝ノ中ニ浸シ置ニ。蛭ニ變スルコト有ル。此蛭ヲ海布昆布ノ後身トハ言レヌ。馬尾ニ糞土カツキテ蜂ニ變スルコト有ル。マタ馬尾ニ着テアルアヒタニ。其首モ腰モ羽モ出來ル。此カ成就シ了レハ。馬尾ヲ離レテ飛去ル。此蜂ヲ馬尾ノ後身トハ云レヌ。マタ木ノ葉カ卷テ色カ變シテ。芋蟲ニ類セル蟲トナルコトカ有ル。コノ芋蟲ニ類セル蟲モ木ノ葉ノ後身トハ云レス。又草木ノ枝ニ目鼻カツキ。小枝カ手ニ成テ。蟷娘ニナルコト有ル。此蟷娘ヲ草若ハ木ノ枝ノ後身トハ定メラレヌ。月令ニ。季夏ノ月腐草螢トナルト。此節ニハ諸ノ腐草カ同時ニ發心シテ光明ノ業ヲ造ルト云ヘカラス。莊子ニ烏足ノ根蜻螬トナリ。葉胡蝶ト成ルト。此ハ一物カ二ノ蟲ト化スル。此二類ヲ此一物分身シテ二類ヲ現スト云ヘカラス。又石蛤石蟹ノ類ヲ見レハ。有情カ非情ニ化スル事モアル此類數多シ。若思量臆度ヲ以テ此等ノ趣ヲハカラハ。風ヲ繫キ。虛空ニ畫クヨリモハカナキコトシヤ。

新字:蛭ノ腹カ破レテ蜻蜓カ出ル。此蜻蜓ヲ蛭ノ後身トハ云レヌ。試ニ看ヨ。アラメ昆布ノ類ヲ溝ノ中ニ浸シ置ニ。蛭ニ変スルコト有ル。此蛭ヲ海布昆布ノ後身トハ言レヌ。馬尾ニ糞土カツキテ蜂ニ変スルコト有ル。マタ馬尾ニ着テアルアヒタニ。其首モ腰モ羽モ出来ル。此カ成就シ了レハ。馬尾ヲ離レテ飛去ル。此蜂ヲ馬尾ノ後身トハ云レヌ。マタ木ノ葉カ巻テ色カ変シテ。芋虫ニ類セル虫トナルコトカ有ル。コノ芋虫ニ類セル虫モ木ノ葉ノ後身トハ云レス。又草木ノ枝ニ目鼻カツキ。小枝カ手ニ成テ。蟷娘ニナルコト有ル。此蟷娘ヲ草若ハ木ノ枝ノ後身トハ定メラレヌ。月令ニ。季夏ノ月腐草蛍トナルト。此節ニハ諸ノ腐草カ同時ニ発心シテ光明ノ業ヲ造ルト云ヘカラス。荘子ニ烏足ノ根蜻螬トナリ。葉胡蝶ト成ルト。此ハ一物カ二ノ虫ト化スル。此二類ヲ此一物分身シテ二類ヲ現スト云ヘカラス。又石蛤石蟹ノ類ヲ見レハ。有情カ非情ニ化スル事モアル此類数多シ。若思量臆度ヲ以テ此等ノ趣ヲハカラハ。風ヲ繋キ。虚空ニ画クヨリモハカナキコトシヤ。

書き下し

蛭ノ腹カ破レテ蜻蜓カ出ル。此蜻蜓ヲ蛭ノ後身トハ云レヌ。試ニ看ヨ。アラメ昆布ノ類ヲ溝ノ中ニ浸シ置ニ。蛭ニ変スルコト有ル。此蛭ヲ海布昆布ノ後身トハ言レヌ。馬尾ニ糞土カツキテ蜂ニ変スルコト有ル。マタ馬尾ニ着テアルアヒタニ。其首モ腰モ羽モ出来ル。此カ成就シ了レハ。馬尾ヲ離レテ飛去ル。此蜂ヲ馬尾ノ後身トハ云レヌ。マタ木ノ葉カ巻テ色カ変シテ。芋虫ニ類セル虫トナルコトカ有ル。コノ芋虫ニ類セル虫モ木ノ葉ノ後身トハ云レス。又草木ノ枝ニ目鼻カツキ。小枝カ手ニ成テ。蟷娘ニナルコト有ル。此蟷娘ヲ草若ハ木ノ枝ノ後身トハ定メラレヌ。月令ニ。季夏ノ月腐草蛍トナルト。此節ニハ諸ノ腐草カ同時ニ発心シテ光明ノ業ヲ造ルト云ヘカラス。荘子ニ烏足ノ根蜻螬トナリ。葉胡蝶ト成ルト。此ハ一物カ二ノ虫ト化スル。此二類ヲ此一物分身シテ二類ヲ現スト云ヘカラス。又石蛤石蟹ノ類ヲ見レハ。有情カ非情ニ化スル事モアル此類数多シ。若思量臆度ヲ以テ此等ノ趣ヲハカラハ。風ヲ繋キ。虚空ニ画クヨリモハカナキコトシヤ。

現代語訳

蛭の腹が破れてトンボが出る。このトンボを蛭の生まれ変わりとは言えない。試しに見なさい。アラメや昆布の類を溝の中に浸しておくと、蛭に変わることがある。この蛭をワカメや昆布の生まれ変わりとは言えない。馬の尾の毛に糞や土がついて蜂に変わることがある。また馬の尾に付いている間に、その頭も腰も羽もできる。これができあがると、馬の尾を離れて飛び去る。この蜂を馬の尾の生まれ変わりとは言えない。また木の葉が巻いて色が変わって、芋虫に似た虫となることがある。この芋虫に似た虫も、木の葉の生まれ変わりとは言えない。また草木の枝に目鼻がつき、小枝が手になって、カマキリになることがある。このカマキリを草や木の枝の生まれ変わりとは定められない。月令に「季夏の月に腐った草が蛍となる」とある。この時節に諸々の腐った草が同時に発心して光明の業を造るとは言えない。荘子に「烏足(草の名)の根はすくもむしとなり、葉は胡蝶となる」とある。これは一つのものが二つの虫に化すのである。この二種類を、この一つのものが分身して二種類を現したとは言えない。また石蛤・石蟹の類を見れば、生き物が生き物でないものに化することもある。この類は数多い。もし思い量りや当て推量によってこれらの趣を計ろうとすれば、風をつなぎ止め、虚空に絵を描くよりもはかないことである。

解説

鮑性泉の解釈を退けるため、尊者は当時信じられていた化生の例を次々に挙げる。昆布が蛭に、馬の尾の毛が蜂に、木の枝がカマキリに変わるといった話や、月令の腐った草が蛍になる話、荘子の草の根が虫になる話である。これらは当時の博物の知識として語られていたもので、尊者もそのまま事実として用いている。論の要は、物が別の物に化したからといって、前の物の生まれ変わりとは言えないという点にある。見た目の連続を本質の連続と取り違える誤りを突いたもので、因果を論じるときの慎重さを教える。

この章句が説くこと

常見後身輪廻月令荘子臆度

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