十善法語 / 巻第十・不邪見戒之上
此邦ノ神道ハ。最初ニ儒佛ノ道ヲ牽合セテ兩部習合ト云。ソノ次ニ佛者ノ徒カ神道ノ起リタルヲ妬ミ。本迹緣起ノ神道ヲ說テ。表ハ神祇ヲ顯ハシテ。底裏ハ此ヲ佛道ニ歸スル。其後一般ノ禰宜神主。佛法ノ世ニ盛ナルヲ妬ミ。此二途ヲ破シテ。唯一宗源ノ神道ヲ說ク。其後ニハ此ヲ王道ニ歸シテ。王道神道ヲ說ク。近比ハ表ニ神道ヲ說テ。底裏ハ儒道ニ歸ス。三國共ニ人情ハ一樣トナルト。或者カ云ニハ。是ハ上ノ今日ノ有ルヘキ道ト立シ者ノ見識ナルト。
新字:此邦ノ神道ハ。最初ニ儒仏ノ道ヲ牽合セテ両部習合ト云。ソノ次ニ仏者ノ徒カ神道ノ起リタルヲ妬ミ。本迹縁起ノ神道ヲ説テ。表ハ神祇ヲ顕ハシテ。底裏ハ此ヲ仏道ニ帰スル。其後一般ノ祢宜神主。仏法ノ世ニ盛ナルヲ妬ミ。此二途ヲ破シテ。唯一宗源ノ神道ヲ説ク。其後ニハ此ヲ王道ニ帰シテ。王道神道ヲ説ク。近比ハ表ニ神道ヲ説テ。底裏ハ儒道ニ帰ス。三国共ニ人情ハ一様トナルト。或者カ云ニハ。是ハ上ノ今日ノ有ルヘキ道ト立シ者ノ見識ナルト。
書き下し
此邦ノ神道ハ。最初ニ儒仏ノ道ヲ牽合セテ両部習合ト云。ソノ次ニ仏者ノ徒カ神道ノ起リタルヲ妬ミ。本迹縁起ノ神道ヲ説テ。表ハ神祇ヲ顕ハシテ。底裏ハ此ヲ仏道ニ帰スル。其後一般ノ祢宜神主。仏法ノ世ニ盛ナルヲ妬ミ。此二途ヲ破シテ。唯一宗源ノ神道ヲ説ク。其後ニハ此ヲ王道ニ帰シテ。王道神道ヲ説ク。近比ハ表ニ神道ヲ説テ。底裏ハ儒道ニ帰ス。三国共ニ人情ハ一様トナルト。或者カ云ニハ。是ハ上ノ今日ノ有ルヘキ道ト立シ者ノ見識ナルト。
現代語訳
この国の神道は、最初に儒教と仏教の道をこじつけて両部習合と言った。その次に仏教者の徒が神道の興ったのを妬み、本迹縁起の神道を説いて、表には神々を現しながら、底ではこれを仏道に帰させた。その後、一部の禰宜や神主が、仏法が世に盛んなのを妬み、この二つの道を論破して唯一宗源の神道を説いた。その後にはこれを王道に帰して、王道神道を説いた。近ごろは表に神道を説いて、底では儒道に帰している。三国ともに人情は同じようなものだ、と。ある者が言うには、これは上に述べた、今日のあるべき道を立てた者の見識である、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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二宮翁夜話・巻之二翁曰(いわ)く、夫(そ)れ神道は、開闢(かいびゃく)の大道皇国本源の道なり、豊芦原(とよあしはら)を、此の如き瑞穂(みずほ)の国安国と治(おさ)めたまひし大道なり、此の開国の道、則(すなわ)ち真の神道なり、我が神道盛んに行はれてより後にこそ、儒道も仏道も入り来れるなれ、我が神道開闢の道未(いま)だ盛んならざるの前に、儒仏の道の入り来るべき道理あるべからず、我が神道、則ち開闢の大道先(ま)づ行はれ、十分に事足るに随(したが)ひてより後、世上に六(むつ)かしき事も出来るなり、其の時にこそ、儒も入用、仏も入用なれ、是れ誠に疑ひなき道理なり、譬(たと)へば未だ嫁(よめ)のなき時に夫婦喧嘩(げんか)あるべからず、未だ子幼少なるに親子喧嘩あるべからず、嫁有りて後に夫婦喧嘩あり、子生長して後に親子喧嘩あるなり、此の時に至りてこそ、五倫五常も悟道治心も、入用となるなれ、然るを世人此の道理に暗(くら)く、治国治心の道を以て、本元の道とす、是れ大なる誤りなり、夫れ本元の道は開闢の道なる事明なり、予此の迷ひを醒(さ)まさん為に「古道につもる木の葉をかきわけて天照す神の足跡を見ん」とよめり、能く味(あじわ)ふべし、大御神の足跡のある処、真の神道なり、世に神道と云ふものは、神主の道にして、神の道にはあらず、甚(はなは)だしきに至りては、巫祝(ふしゅく)の輩(ともがら)が、神札を配りて米銭を乞ふ者をも神道者と云ふに至れり、神道と云ふ物、豈(あに)此の如く、卑(いや)しき物ならんや、能く思ふべし。
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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上又一類ノ者カ云。天地ノ間ニ定レル道ナシ。昔ヨリ衆聖人ノ手ヲ歴テ次第ニ成立シテ。世ヲ済ケ民ヲ救フト。此様ニ道ヲ拵事ニテ。定法ナシト云ヘハ聖人ト云モ。作者ノ名ニシテ。聰明睿智ノ徳ノミヲ称スルニアラスト云ネハナラヌ。仁義モ。民ヲ救ニ付タル名ニシテ。徳義ノ名ニ非スト云ネハナラヌ。何事モ皆安排布置ニ落ルコトシヤ。神道ヲ云者ノ中ニ。一類偏見ノ者此説ヲナス。一切神祇ミナ愚民ヲ畏レ慎マシムル教ニシテ。実跡ヲ求ムヘカラス。此陰陽。此日月。此四時。此山川聚落。强テ分配シテ神号ヲ立ス。聖賢ノ君。有功ノ士。下勇憤ノ士。放逐ノ臣。凡ソ衆人ノ思フ処。此社ヲ建テ祭ル。既ニ神号アリ神社アレハ。世人附会シテ怪談ヲ立ツ。世ニ害ナキコトハ王者モ此ヲ禁セス。正史モ随テ記ス。聖徳太子舎人親王等仮テ以テ世ヲ教フル。其事実ヲ求ムヘカラス。
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二宮翁夜話・巻之四或(ある)ひと曰(いわ)く、恵心僧都(えしんそうず)の伝記に曰く、今の世の仏者達の申さるる仏道が誠の仏道ならば、仏道ほど世に悪(あ)しき物はあるまじ、といはれし事見えたり、面白き言葉にあらずや。翁曰く、誠に名言なり。只(ただ)仏道のみにあらず、儒道も神道も又同じかるべし。今時(いまどき)の儒者達の行はるゝ処が、誠の儒道ならば、世に儒道ほどつまらぬ物はあるまじ、今時の神道者達の申さるゝ神道が、誠の神道ならば、神道ほど無用の物はあるまじ、と予(よ)も思ふなり。夫(そ)れ神道は天地開闢(かいびゃく)の大道にして、豊蘆原(とよあしはら)を瑞穂(みずほ)の国、安国(やすくに)と治め給ひし、道なる事、弁(べん)を待たずして明なり。豈(あに)当世巫祝(ふしゅく)者流、神札を配(くば)りて、米銭を乞ふ者等の、知る処ならんや。川柳に「神道者身にぼろぼろを纏(まと)ひ居り」と云へり。今の世の神道者、貧困に窮する事斯(か)くの如し。是(これ)真の神道を知らざるが故なり。夫れ神道は、豊芦原(とよあしはら)を瑞穂の国とし、漂(ただよ)へる国を安国と固(かた)め成す道なり。然(しか)る大道を知る者、決して貧窮に陥(おちい)るの理なし。是神道の何物たるを知らざるの証なり。歎(なげ)かはしき事ならずや。
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『直毘霊』神の道と名づけらる然るをやや降りて、書籍という物渡り参り来て、それを学びよむ事始まりて後、其の国のてぶりをならいて、やや万のうえにまじえ用いらるる御代になりてぞ、大御国の古の大御てぶりをば、取り別けて神の道とは名づけられたりける。そはかの外国の道々にまがうがゆえに、神といい、又かの名を借りて、ここにも道とはいうなりけり。
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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上又一類偏見ノ者カ云。天竺支那日本共ニ道ヲ説者悉ク加上シテ立ル。天竺ニハ世間人倫ニ加上シテ梵天四禅ヲ説ク。其後ノ者カ此梵天四禅ニ加上シテ無想天ト云ヲ説出ス。此無想定ニ加上シテ其後ノ者ハ無色定ヲ説ク。阿藍迦藍ハ不用処定ヲ説ク。鬱頭藍子ハ非想非非想定ヲ説ク。沙門ハ其上ニ加上シテ滅尽定。涅槃ヲ説ク。此沙門ノ中ニ。阿含三蔵教等ニ加上シテ法相大乗。或ハ空無相ノ教ヲ説ク。又其上ニ加上シテ一乗秘密乗ナトヲ説ク。支那ノ教ニハ。周代ニ斉桓晋文ノ覇業ノ上ニ出テ。孔子カ文武ヲ憲章ス。此儒者ノ上ニ出テ墨翟カ夏ノ道ヲ説ク。楊朱ハ又其上ニ出テ帝道ヲ説出ス。許行ハ神農ノ道ヲ説ク。荘子列子カ徒ハ無懐氏葛天氏ヲ説ク。
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『十善法語』巻第五・不綺語戒神祇ニ事テ其心ヲ直クスルモ。面白カルヘシ。実類ノ神ノ其験著シク。権類ノ神ノ其理幽玄ナル。天神地祇ノ品。独化耦生ノ差別。立テテ五行トス。其神各各徳ヲ顕ハス。散シテ万物トナル。其神各各管トルトコロアル。神人一体ノ中ニ冥助ノ顕ルル。神物不二ノ中ニ其徳具ハル。造化ヨリ人事ニ移ル間ニ神号ヲ立シ。神事ヲ定ルシヤ。高天原ト云。天御中主尊ト云。下至荒振神ト云。年ノ流行神。諸謗蘇鬼マテ。ソノ理モソノ事モミナ面白カルヘシ。糸竹管絃ノ及フ所デハアルマシキシヤ。マシテ綺語狂言ナトヲ玩フヘキコトデハナイ。