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十善法語 / 巻第九・不瞋恚戒

此衆生界。往處トシテ地大ナラサルナク。一切衆生見ル處トシテ地大ナラサルナシ。自心ニ自心ヲ執スレハ。目前ノ境界染汗法トナル。是地大沈重愚癡トナリ來ル。愚癡ノ境界自心ヲ熏シ。心ヨリ又愚癡ノ境界ヲ造シテ。乃至地中ノ蠢動トナル。刧ヨリ刧ヲ累テ。此地大ノアル處ハ愚癡ノアル處シヤ。若ミツカラ回光反照セハ。此心地萬德ヲ生ス。此地大ノアル處直ニ禪定ノアル處シヤ。此衆生界。往處トシテ水大ナラサルナク。看處トシテ水大ナラサルナシ。若流ニ隨テ止コトナケレハ。此水ハ愛欲トナリ來ル。愛心ヨリ愛境ヲ造立シ。愛境ヨリ愛心ヲ相續シテ。乃至愛相應ノ世界。魚龍ノ身心トナル。刧ヨリ刧ヲ累テ。此水大ノアル處ハ愛欲ノアル處シヤ。若自ラ回光反照セハ。此水大慈悲ト相應ス。衆生ヲ攝取シテ悉ク救拔ス。經中ニ佛心トハ大慈悲コレナリトアルシヤ。

新字:此衆生界。往処トシテ地大ナラサルナク。一切衆生見ル処トシテ地大ナラサルナシ。自心ニ自心ヲ執スレハ。目前ノ境界染汗法トナル。是地大沈重愚痴トナリ来ル。愚痴ノ境界自心ヲ熏シ。心ヨリ又愚痴ノ境界ヲ造シテ。乃至地中ノ蠢動トナル。刧ヨリ刧ヲ累テ。此地大ノアル処ハ愚痴ノアル処シヤ。若ミツカラ回光反照セハ。此心地万徳ヲ生ス。此地大ノアル処直ニ禅定ノアル処シヤ。此衆生界。往処トシテ水大ナラサルナク。看処トシテ水大ナラサルナシ。若流ニ随テ止コトナケレハ。此水ハ愛欲トナリ来ル。愛心ヨリ愛境ヲ造立シ。愛境ヨリ愛心ヲ相続シテ。乃至愛相応ノ世界。魚竜ノ身心トナル。刧ヨリ刧ヲ累テ。此水大ノアル処ハ愛欲ノアル処シヤ。若自ラ回光反照セハ。此水大慈悲ト相応ス。衆生ヲ摂取シテ悉ク救抜ス。経中ニ仏心トハ大慈悲コレナリトアルシヤ。

書き下し

此衆生界。往処トシテ地大ナラサルナク。一切衆生見ル処トシテ地大ナラサルナシ。自心ニ自心ヲ執スレハ。目前ノ境界染汗法トナル。是地大沈重愚痴トナリ来ル。愚痴ノ境界自心ヲ熏シ。心ヨリ又愚痴ノ境界ヲ造シテ。乃至地中ノ蠢動トナル。刧ヨリ刧ヲ累テ。此地大ノアル処ハ愚痴ノアル処シヤ。若ミツカラ回光反照セハ。此心地万徳ヲ生ス。此地大ノアル処直ニ禅定ノアル処シヤ。此衆生界。往処トシテ水大ナラサルナク。看処トシテ水大ナラサルナシ。若流ニ随テ止コトナケレハ。此水ハ愛欲トナリ来ル。愛心ヨリ愛境ヲ造立シ。愛境ヨリ愛心ヲ相続シテ。乃至愛相応ノ世界。魚竜ノ身心トナル。刧ヨリ刧ヲ累テ。此水大ノアル処ハ愛欲ノアル処シヤ。若自ラ回光反照セハ。此水大慈悲ト相応ス。衆生ヲ摂取シテ悉ク救抜ス。経中ニ仏心トハ大慈悲コレナリトアルシヤ。

現代語訳

この衆生界は、行く所として地大でない所はなく、一切衆生の見る所として地大でないものはない。自分の心に自分の心を執着すれば、目の前の境界は染汚の法となる。これが地大の沈み重い愚癡となって来る。愚癡の境界が自分の心に薫じ、心からまた愚癡の境界を作り出して、ついには地中にうごめく虫となる。劫から劫を重ねて、この地大のある所は愚癡のある所である。もし自ら光を回らして自己を照らせば、この心の地は万の徳を生じる。この地大のある所が、そのまま禅定のある所である。この衆生界は、行く所として水大でない所はなく、見る所として水大でないものはない。もし流れに従って止まることがなければ、この水は愛欲となって来る。愛の心から愛の境を作り立て、愛の境から愛の心を相続して、ついには愛と相応する世界、魚や龍の身心となる。劫から劫を重ねて、この水大のある所は愛欲のある所である。もし自ら光を回らして自己を照らせば、この水大は慈悲と相応する。衆生を摂め取って、ことごとく救い抜く。経の中に、仏心とは大慈悲これである、とあるのである。

解説

地大と水大を、迷いと悟りの両面から説く。自分の心に執着すれば、地大は沈み重い愚癡となり、ついには地中の虫の身となるが、光を回らして自らを照らせば、同じ地大が禅定の場となる。水大も、流れに任せれば愛欲となり、魚や龍の身を作るが、自らを照らせば慈悲となって人々を救う。仏心とは大慈悲だという観無量寿経の句がその裏づけである。同じ性質が、向きを変えるだけで重荷にも力にもなるという見方は、自分の短所を活かし直す発想に通じる。

この章句が説くこと

地大水大愚痴愛欲禅定慈悲

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