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十善法語 / 巻第一・不殺生戒

廣大ノ慈悲心カ直ニコレ賢聖ノ心業シヤ。此賢聖ノ心業ヲ戒ト名ツクルシヤ。大人ノ持戒ハ民庶ノ知ヘキナラス。菩薩ノ志ハ小根劣機ノ者ノ知トコロテハナキシヤ。大抵ハ十善ノ世ニハ。亂臣賊子ハ其名タモ聞ヌト云。亂法ノ民不孝ノ子弟モ自ラ耻テ自ラ改ムト云。乃至禽獸マテ馴ナツイテ搏攫セヌト云コトシヤ。在家戒ノ中。慈悲心ヲ以テ下蟲蟻ニ至マテ救フ。又慈悲心ヲ以テ惡人ヲ誅スル。姑息ノ仁怯弱ノ心ヲ以テ。一二人ヲ宥テ大亂ニ及フコトハセヌシヤ。十善ノ道其理面白キシヤ。出家戒ノ中ハ一向ニ殺生セヌ。心ヲ寄スル處唯道ノミシヤ。身ヲ託スル處唯賢聖ノ威儀シヤ。世間ノ師トハナルヘク。世間ノ交リニハヨラヌ者シヤ。凡ソ戒法ニ持犯開遮有テ。一途ニカタヨルコトテハナイト云コトシヤ。涅槃經ニヨク一字ヲ解スルヲ律師ト名ツクトアル。此一字ト云コト。古今解シ難キト云コトシヤ。

新字:広大ノ慈悲心カ直ニコレ賢聖ノ心業シヤ。此賢聖ノ心業ヲ戒ト名ツクルシヤ。大人ノ持戒ハ民庶ノ知ヘキナラス。菩薩ノ志ハ小根劣機ノ者ノ知トコロテハナキシヤ。大抵ハ十善ノ世ニハ。乱臣賊子ハ其名タモ聞ヌト云。乱法ノ民不孝ノ子弟モ自ラ耻テ自ラ改ムト云。乃至禽獣マテ馴ナツイテ搏攫セヌト云コトシヤ。在家戒ノ中。慈悲心ヲ以テ下虫蟻ニ至マテ救フ。又慈悲心ヲ以テ悪人ヲ誅スル。姑息ノ仁怯弱ノ心ヲ以テ。一二人ヲ宥テ大乱ニ及フコトハセヌシヤ。十善ノ道其理面白キシヤ。出家戒ノ中ハ一向ニ殺生セヌ。心ヲ寄スル処唯道ノミシヤ。身ヲ託スル処唯賢聖ノ威儀シヤ。世間ノ師トハナルヘク。世間ノ交リニハヨラヌ者シヤ。凡ソ戒法ニ持犯開遮有テ。一途ニカタヨルコトテハナイト云コトシヤ。涅槃経ニヨク一字ヲ解スルヲ律師ト名ツクトアル。此一字ト云コト。古今解シ難キト云コトシヤ。

書き下し

広大ノ慈悲心カ直ニコレ賢聖ノ心業シヤ。此賢聖ノ心業ヲ戒ト名ツクルシヤ。大人ノ持戒ハ民庶ノ知ヘキナラス。菩薩ノ志ハ小根劣機ノ者ノ知トコロテハナキシヤ。大抵ハ十善ノ世ニハ。乱臣賊子ハ其名タモ聞ヌト云。乱法ノ民不孝ノ子弟モ自ラ耻テ自ラ改ムト云。乃至禽獣マテ馴ナツイテ搏攫セヌト云コトシヤ。在家戒ノ中。慈悲心ヲ以テ下虫蟻ニ至マテ救フ。又慈悲心ヲ以テ悪人ヲ誅スル。姑息ノ仁怯弱ノ心ヲ以テ。一二人ヲ宥テ大乱ニ及フコトハセヌシヤ。十善ノ道其理面白キシヤ。出家戒ノ中ハ一向ニ殺生セヌ。心ヲ寄スル処唯道ノミシヤ。身ヲ託スル処唯賢聖ノ威儀シヤ。世間ノ師トハナルヘク。世間ノ交リニハヨラヌ者シヤ。凡ソ戒法ニ持犯開遮有テ。一途ニカタヨルコトテハナイト云コトシヤ。涅槃経ニヨク一字ヲ解スルヲ律師ト名ツクトアル。此一字ト云コト。古今解シ難キト云コトシヤ。

現代語訳

広大な慈悲の心がそのまま賢聖の心の働きである。この賢聖の心の働きを戒と名づけるのである。大人の持戒は民衆の知るべきものではない。菩薩の志は小さな器の劣った者の知るところではないのである。大体、十善の世には、乱臣賊子はその名さえ聞かないと言う。法を乱す民や不孝の子弟も、自ら恥じて自ら改めると言う。さらには鳥獣までも馴れ親しんで、襲いかからないということである。在家の戒の中では、慈悲の心で下は虫や蟻に至るまで救う。また慈悲の心で悪人を誅する。その場しのぎの仁や臆病な心で、一人二人を許して大乱に及ぶようなことはしないのである。十善の道は、その理が面白いのである。出家の戒の中では、一向に殺生しない。心を寄せる所はただ道だけである。身を託す所はただ賢聖の威儀である。世間の師とはなるべきで、世間の交わりにはよらない者である。およそ戒法には、持つ・犯す・許す・禁じるがあって、一方に偏ることではないということである。涅槃経に、「よく一字を理解する者を律師と名づける」とある。この一字ということは、古今理解しがたいということである。

解説

戒の根は広大な慈悲の心であり、その表れ方は立場によって違う、と説く。在家の為政者は、虫や蟻まで救う同じ慈悲の心で悪人を誅し、その場しのぎの甘さで大乱を招くことはしない。出家者は一切殺生せず、世の師でありながら世俗の交わりには頼らない。戒には持犯開遮があって一方に偏らないという言葉は、規則を杓子定規に当てはめる危うさを戒めている。姑息の仁を退ける言葉は、厳しさを避けて問題を先送りにする優しさへの警告として、今も響く。

この章句が説くこと

慈悲在家出家持犯開遮姑息

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