師導古典を学びたいすべての人に

十善法語 / 巻第七・不兩舌戒

在世ノ文珠彌勒モ一辭ヲ賛ケス。迦葉舍利弗モ唯祇奉スルノミト云コトシヤ。末葉ノ者モ人情ヲ雜ヘス。情識ニ依ラス。如法ニ授受シ。身命ヲ盡シテ欽奉スレハ。法界塵沙ノ善法カ己心中ノ具德タルト云コトシヤ。此カ一得永不失ノ法デ。七支十支培增シテ未來際ヲ盡スト云コトシヤ。經中ニ衆生受佛戒則入諸佛位。位同大覺已。眞是諸佛子トアル。此儀シヤ。小乘聲聞乘ノ者ハ此中ニ少分盡形壽ノ無作ヲ發シテ。自調自度相應スルト云コトシヤ。有爲執着ノ者ハ此中ニ少分盡形壽ノ無作ヲ發シテ人天ノ勝樂ヲマネクト云コトシヤ。權乘ノ菩薩ハ此中ニ少分盡心ノ無作ヲ發シテ地地ノ階級ヲ歷ルト云コトシヤ。譬ヘハ大海水ノ汲ニ隨テ增減ナキカ如ク。蒼天ノ管ノ大小ニ隨テ象ヲ顯ハス如クシヤ。

新字:在世ノ文珠弥勒モ一辞ヲ賛ケス。迦葉舎利弗モ唯祇奉スルノミト云コトシヤ。末葉ノ者モ人情ヲ雑ヘス。情識ニ依ラス。如法ニ授受シ。身命ヲ尽シテ欽奉スレハ。法界塵沙ノ善法カ己心中ノ具徳タルト云コトシヤ。此カ一得永不失ノ法デ。七支十支培增シテ未来際ヲ尽スト云コトシヤ。経中ニ衆生受仏戒則入諸仏位。位同大覚已。真是諸仏子トアル。此儀シヤ。小乗声聞乗ノ者ハ此中ニ少分尽形寿ノ無作ヲ発シテ。自調自度相応スルト云コトシヤ。有為執着ノ者ハ此中ニ少分尽形寿ノ無作ヲ発シテ人天ノ勝楽ヲマネクト云コトシヤ。権乗ノ菩薩ハ此中ニ少分尽心ノ無作ヲ発シテ地地ノ階級ヲ歴ルト云コトシヤ。譬ヘハ大海水ノ汲ニ随テ增減ナキカ如ク。蒼天ノ管ノ大小ニ随テ象ヲ顕ハス如クシヤ。

書き下し

在世ノ文珠弥勒モ一辞ヲ賛ケス。迦葉舎利弗モ唯祇奉スルノミト云コトシヤ。末葉ノ者モ人情ヲ雑ヘス。情識ニ依ラス。如法ニ授受シ。身命ヲ尽シテ欽奉スレハ。法界塵沙ノ善法カ己心中ノ具徳タルト云コトシヤ。此カ一得永不失ノ法デ。七支十支培增シテ未来際ヲ尽スト云コトシヤ。経中ニ衆生受仏戒則入諸仏位。位同大覚已。真是諸仏子トアル。此儀シヤ。小乗声聞乗ノ者ハ此中ニ少分尽形寿ノ無作ヲ発シテ。自調自度相応スルト云コトシヤ。有為執着ノ者ハ此中ニ少分尽形寿ノ無作ヲ発シテ人天ノ勝楽ヲマネクト云コトシヤ。権乗ノ菩薩ハ此中ニ少分尽心ノ無作ヲ発シテ地地ノ階級ヲ歴ルト云コトシヤ。譬ヘハ大海水ノ汲ニ随テ增減ナキカ如ク。蒼天ノ管ノ大小ニ随テ象ヲ顕ハス如クシヤ。

現代語訳

在世の文殊や弥勒も一言も付け加えず、迦葉や舎利弗もただ謹んで奉じるだけだったということだ。末世の者も人情を交えず、情や識に依らず、法のとおりに授け受け、身命を尽くして謹んで奉じれば、法界の塵や砂ほどの無数の善法が、自分の心の中に具わった徳となるということだ。これが一度得れば永く失わない法であって、七支や十支の戒が培われ増して、未来の果てまで尽きないということだ。経の中に、衆生が仏の戒を受ければ、すなわち諸仏の位に入る。位が大いなる覚者と同じになり終われば、まことにこれが諸仏の子である、とある。このありさまである。小乗の声聞乗の者は、この中でわずかに生涯を限りとする無作の戒体を起こして、自分を調え自分を渡すことに相応するということだ。有為に執着する者は、この中でわずかに生涯を限りとする無作を起こして、人や天の優れた楽しみを招くということだ。権乗の菩薩は、この中でわずかに心の尽きるまでの無作を起こして、菩薩の位の段階を一つ一つ経ていくということだ。たとえば大海の水が汲む量に応じても増減がないように、青空が覗く管の大小に応じてその形を現すようなものである。

解説

授戒の作法には文殊も弥勒も一言も足さなかったという。人情や自分の考えを交えず、法のとおりに受ければ、無数の善法が自分の徳となり、一度得れば失われない。梵網経の「衆生仏戒を受くれば即ち諸仏の位に入る」はその宣言である。ただ受け取り方は器によって違い、自分の救いだけを求める者、来世の楽を望む者、段階を踏む菩薩と分かれる。海の水は汲む器で量が変わっても海は減らず、空は管の太さなりに見える。同じ教えを受けても、得るものは受け手の器で決まるということである。

この章句が説くこと

受戒仏性戒体梵網経器量無作

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる