十善法語 / 巻第八・不貪欲戒
老子經ニ。大成若缺大盈若冲。大直如屈。大巧若拙。大辨若訥ト云ヒ。天下有道却走馬以糞。天下無道戎馬生於郊。罪莫大於可欲。禍莫大於不知足。咎莫大於欲得。故知足之足常足トアル。全ク此戒相シヤ。論語ニ。禹吾無間然。惡衣服而致美乎□冕。卑宮室而盡力乎溝洫ト云。此モ全ク此戒ノ趣シヤ。誠ニ老子モ外ナラヌ人シヤ。異端デハナイ。外道デハナイ。夏ノ禹王モ外ナラヌ人シヤ。異端テハナイ。外道テハナイ。若通シテ言ハ。古今命世ノ者多クハ此十善中ノ人ト云ヘシ。其中老子ノ教ハ。多分天道ヲ說キ。少分人道ヲ云。論語禮記等ハ。多分人道ヲ說キ。少分天道ヲ言フ。此中天道アル處ハ人道此ニ從フ。人道全キ處ハ天命此ニ應スル。點檢シ將來レハ。悉ク此道ノ左右シヤ。
新字:老子経ニ。大成若欠大盈若沖。大直如屈。大巧若拙。大弁若訥ト云ヒ。天下有道却走馬以糞。天下無道戎馬生於郊。罪莫大於可欲。禍莫大於不知足。咎莫大於欲得。故知足之足常足トアル。全ク此戒相シヤ。論語ニ。禹吾無間然。悪衣服而致美乎□冕。卑宮室而尽力乎溝洫ト云。此モ全ク此戒ノ趣シヤ。誠ニ老子モ外ナラヌ人シヤ。異端デハナイ。外道デハナイ。夏ノ禹王モ外ナラヌ人シヤ。異端テハナイ。外道テハナイ。若通シテ言ハ。古今命世ノ者多クハ此十善中ノ人ト云ヘシ。其中老子ノ教ハ。多分天道ヲ説キ。少分人道ヲ云。論語礼記等ハ。多分人道ヲ説キ。少分天道ヲ言フ。此中天道アル処ハ人道此ニ従フ。人道全キ処ハ天命此ニ応スル。点検シ将来レハ。悉ク此道ノ左右シヤ。
書き下し
老子経ニ。大成若欠大盈若沖。大直如屈。大巧若拙。大弁若訥ト云ヒ。天下有道却走馬以糞。天下無道戎馬生於郊。罪莫大於可欲。禍莫大於不知足。咎莫大於欲得。故知足之足常足トアル。全ク此戒相シヤ。論語ニ。禹吾無間然。悪衣服而致美乎□冕。卑宮室而尽力乎溝洫ト云。此モ全ク此戒ノ趣シヤ。誠ニ老子モ外ナラヌ人シヤ。異端デハナイ。外道デハナイ。夏ノ禹王モ外ナラヌ人シヤ。異端テハナイ。外道テハナイ。若通シテ言ハ。古今命世ノ者多クハ此十善中ノ人ト云ヘシ。其中老子ノ教ハ。多分天道ヲ説キ。少分人道ヲ云。論語礼記等ハ。多分人道ヲ説キ。少分天道ヲ言フ。此中天道アル処ハ人道此ニ従フ。人道全キ処ハ天命此ニ応スル。点検シ将来レハ。悉ク此道ノ左右シヤ。
現代語訳
老子経に、「大いに完成したものは欠けているようであり、大いに満ちたものは空っぽのようである。大いにまっすぐなものは曲がっているようであり、大いに巧みなものは拙いようであり、大いに弁の立つものは口下手のようである」と言い、「天下に道があれば、早馬を退けて田の肥やし運びに使う。天下に道がなければ、軍馬が郊外で子を産む。罪は欲すべきものがあるより大きなものはない。禍は足ることを知らないより大きなものはない。咎は得ようと欲するより大きなものはない。ゆえに足ることを知る満足は、常に満ち足りている」とある。まったくこの戒の姿である。論語に、「禹については、私は非の打ちどころがない。衣服を粗末にして祭服を美しくし、宮殿を低くして、灌漑の溝に力を尽くした」と言う。これもまったくこの戒の趣である。まことに老子も道の外の人ではない。異端ではない。外道ではない。夏の禹王も道の外の人ではない。異端ではない。外道ではない。もし通して言えば、古今の世に名高い者の多くは、この十善の中の人と言うべきである。その中で老子の教えは、多くは天道を説き、少しく人道を言う。論語や礼記などは、多くは人道を説き、少しく天道を言う。この中で、天道のある所には人道がこれに従う。人道が全うされる所には天命がこれに応じる。点検してくれば、ことごとくこの道の左右の両面である。
解説

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