十善法語 / 巻第五・不綺語戒
若暴君酷吏ニ遇テ二月新絲ヲ賣リ。五月ニ新穀ヲ糶ル如キノ困ミアル。又風雨ノ不順飢饉ノ歲ニ値テ。老弱ノ溝壑ニ轉ヒ死スルヲ眼前ニ見過ス。此變ニ遇ハ自ラ變ニ安ンスヘシ。天ヲ怨ミ時ヲ怨ルハ人道ニ背クシヤ。又貪吏奸吏ノ賄賂ヲ貪ルトキ。道ヲ曲テコレヲ與レハ隣里鄕黨モ其災ヲ免ル。正直ヲ守レハ家門其苛虐ニ死亡スル。此變アル。尙モ變ニ處スル道ノアルヘキコトシヤ。
新字:若暴君酷吏ニ遇テ二月新糸ヲ売リ。五月ニ新穀ヲ糶ル如キノ困ミアル。又風雨ノ不順飢饉ノ歳ニ値テ。老弱ノ溝壑ニ転ヒ死スルヲ眼前ニ見過ス。此変ニ遇ハ自ラ変ニ安ンスヘシ。天ヲ怨ミ時ヲ怨ルハ人道ニ背クシヤ。又貪吏奸吏ノ賄賂ヲ貪ルトキ。道ヲ曲テコレヲ与レハ隣里郷党モ其災ヲ免ル。正直ヲ守レハ家門其苛虐ニ死亡スル。此変アル。尚モ変ニ処スル道ノアルヘキコトシヤ。
書き下し
若暴君酷吏ニ遇テ二月新糸ヲ売リ。五月ニ新穀ヲ糶ル如キノ困ミアル。又風雨ノ不順飢饉ノ歳ニ値テ。老弱ノ溝壑ニ転ヒ死スルヲ眼前ニ見過ス。此変ニ遇ハ自ラ変ニ安ンスヘシ。天ヲ怨ミ時ヲ怨ルハ人道ニ背クシヤ。又貪吏奸吏ノ賄賂ヲ貪ルトキ。道ヲ曲テコレヲ与レハ隣里郷党モ其災ヲ免ル。正直ヲ守レハ家門其苛虐ニ死亡スル。此変アル。尚モ変ニ処スル道ノアルヘキコトシヤ。
現代語訳
もし暴君や苛酷な役人に出会って、二月に新しい糸を売り、五月に新しい穀物を売る(先売りして窮する)ような苦しみがある。また風雨が不順で飢饉の年に当たって、老人や弱い者が溝や谷に転がって死ぬのを目の前に見過ごす。この変事に遇えば、自らその変事に安んずるべきである。天を怨み時を怨むのは人の道に背くのである。また、欲深い役人や悪い役人が賄賂を貪る時、道を曲げてこれを与えれば、隣近所や郷里の人々もその災いを免れる。正直を守れば、家がその苛酷な仕打ちによって死に絶える。こうした変事がある。なおも変事に身を処する道があるはずのことである。
解説

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史記 越王句践世家種還りて、以て句践に報ず。句践、妻子を殺し、宝器を燔き、戦ひに触れて以て死せんと欲す。種、句践を止めて曰く、「夫れ呉の太宰嚭は貪なり、誘ふに利を以てすべし。請ふ閒行して之に言はん」と。是に於て句践、美女宝器を以て種をして閒に呉の太宰嚭に献ぜしむ。嚭受けて、乃ち大夫種を呉王に見えしむ。種頓首して言ひて曰く、「願はくは大王、句践の罪を赦し、尽く其の宝器を入れん。不幸にして赦さずんば、句践将に尽く其の妻子を殺し、其の宝器を燔き、悉く五千人もて戦ひに触れんとす。必ず当たること有らん」と。嚭因りて呉王に説きて曰く、「越は服するを以て臣と為る。若し将に之を赦さば、此れ国の利なり」と。呉王将に之を許さんとす。子胥進み諫めて曰く、「今越を滅ぼさずんば、後必ず之を悔いん。句践は賢君、種・蠡は良臣なり。若し国に反らば、将に乱を為さんとす」と。呉王聴かず、卒に越を赦し、兵を罷めて帰る。句践の会稽に困しむや、喟然として嘆じて曰く、「吾終に此に於てせんか」と。種曰く、「湯は夏台に系がれ、文王は羑里に囚はれ、晋の重耳は翟に奔り、斉の小白は莒に奔るも、其の卒に王霸たり。是に由りて之を観れば、何ぞ遽かに福と為らざらんや」と。
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『韓非子』存韓第二夫れ韓は小國なり、而して以て天下の四撃に應ず。主辱められ臣苦しみ、上下相い與に憂いを同じうすること久し。
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『講孟余話』序然れども富貴安楽は順境なり、貧賤艱難は逆境なり。境順なる者は怠り易く、境逆なる者は励み易し。怠れば則ち失ひ、励めば則ち得る、是れ人の常なり。吾罪を獲て獄に下り、吉村五明・河野子忠・富永有隣の三子を得て、相共に書を読み道を講じ、往復益々喜ぶ。曰く、吾と諸君と其の境逆なり、以て励むこと有りて得べきなりと。遂に孟子の書を抱きて講究礱磨し、以て其の所謂道なる者を求めんと欲す。司獄福川氏も亦来り会して善と称す。是に於て悠然として楽しみ、莞然として笑ひ、復た圜牆の苦たるを知らざるなり。遂に其の得る所を録し、号して講孟劄記と為す。夫れ孟子の説は固より弁を待たず。然れども之れを喜びて足らず、乃ち之れを口に誦し、之れを誦して足らず、乃ち之れを紙に筆す、亦情の已む能はざる所なれば、則ち劄記の作、其れ廃すべけんや。抑々聞く、往年獄中に政無く、酒に酗ひ気を使ひ、喧豗紛争して、絶えて人道無しと。今公即位し、庶政更張して、延いて獄中に及び、百弊日に改まり、衆美並び興る。蓋し司獄も亦与りて力有り。今乃ち諸君と悠悠として学を講じ、以て其の幽囚を楽しむことを得る者、寧ぞ対揚する所以を思はざるべけんや。安政乙卯秋日、二十一回藤寅、諸を野山獄北房第一舎に書す。
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名将言行録・『名将言行録』毛利元就 長男の死を転じる○四年八月四日、元就の嫡子大膳太夫隆元頓死す。家臣の人々、元就之を聞かば、定めて愁傷甚しかるべしと、心許なく思ひ居たりし所に、案の外哀感の色なく、元春、隆景、隆家等へ、隆元頓死是非に及ばざることとなり、是は偏に尼子家滅亡の基なり、我及び各の義は言ふに及ばず、家中の下々に至るまで、隆元が弔には、尼子退治の心掛尋常にはあるまじ、然らば此勢を以て尼子を亡さんこと掌の中なりと、快よけに言ひければ、上下愁眉を開き、何れも勇み合たり。爰に於て元就自ら將として白鹿の城を攻め竟に之を拔けり、其軍機の沮するを慮てなり。
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