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十善法語 / 巻第十・不邪見戒之上

又イカ樣ニ有ト思ヒ決スルトモ。ナキ物カ現シ來ルコトナラス。飢タル者カイカホト深重ニ食ヲ憶念シテモ。食カ出來ハセヌ。凍タル者カイカホト衣服ヲ思惟シテモ。衣服ハ出來ハセヌ。今貧窮下賤ナル者ニ。財寶俸祿ヲ觀シアラハシテトラセタナラハ。悅フヘキナレトモ。是モイカホト觀シテモ。ナキ財寶俸祿カ出來ルモノナラヌシヤ。此ハ佛說ノ唯識所變ノ理ヲ。自己ノ妄想ニアテガフ淺間シキ見處ト云ベシ。

新字:又イカ様ニ有ト思ヒ決スルトモ。ナキ物カ現シ来ルコトナラス。飢タル者カイカホト深重ニ食ヲ憶念シテモ。食カ出来ハセヌ。凍タル者カイカホト衣服ヲ思惟シテモ。衣服ハ出来ハセヌ。今貧窮下賤ナル者ニ。財宝俸禄ヲ観シアラハシテトラセタナラハ。悦フヘキナレトモ。是モイカホト観シテモ。ナキ財宝俸禄カ出来ルモノナラヌシヤ。此ハ仏説ノ唯識所変ノ理ヲ。自己ノ妄想ニアテガフ浅間シキ見処ト云ベシ。

書き下し

又イカ様ニ有ト思ヒ決スルトモ。ナキ物カ現シ来ルコトナラス。飢タル者カイカホト深重ニ食ヲ憶念シテモ。食カ出来ハセヌ。凍タル者カイカホト衣服ヲ思惟シテモ。衣服ハ出来ハセヌ。今貧窮下賤ナル者ニ。財宝俸禄ヲ観シアラハシテトラセタナラハ。悅フヘキナレトモ。是モイカホト観シテモ。ナキ財宝俸禄カ出来ルモノナラヌシヤ。此ハ仏説ノ唯識所変ノ理ヲ。自己ノ妄想ニアテガフ浅間シキ見処ト云ベシ。

現代語訳

また、どのように有ると思い決めても、無いものが現れて来ることはない。飢えた者がどれほど深く食べ物を念じても、食べ物ができはしない。凍えた者がどれほど衣服を思い浮かべても、衣服はできはしない。今、貧しく身分の低い者に、財宝や俸禄を観想で現して与えられるなら喜ぶだろうが、これもどれほど観想しても、無い財宝や俸禄ができるものではないのである。これは仏の説かれた唯識所変(すべては識が変じて現したもの)の道理を、自分の妄想に当てはめた浅ましい見方と言うべきである。

解説

前段の、無いと思えば無くなるという見方の裏返しとして、有ると思えば現れるという考えを退ける段である。飢えた者がいくら食べ物を念じても食べ物は出てこず、貧しい者に観想で財宝を出してやれるなら喜ばれようが、そうはいかない。尊者は、これは唯識の「すべては識の変現である」という教えを、自分の妄想に都合よく当てはめたものだと批判する。心の外に実体を認めないという教えは、思えば何でも叶うという意味ではない。願えば叶うという類の言葉に流されず、手を動かして整える現実を見失わないための一節である。

この章句が説くこと

唯識妄想邪見観想現実願い

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