十善法語 / 巻第四・不妄語戒
華嚴經ノ中ニ。此犯戒ノ罪ヲ說テ。若妄語スル者ハ。上品ハ地獄ニ墮ス。中品ハ畜生。下品ハ餓鬼ニ生ス。タマタマ人間ニ生テモ二種ノ果報ヲ得。一ニハ人ニ欺カレ。二ニハ他ニ謗ラルルト有ル。此ヲ異熟果ト云。此ヲ等流果ト云。餘文ニ。器世間マテモ虛妄ノ餘業有テ。農作事業多ク諧偶セストアル。此ヲ增上果ト云。妄語ノ法トシテ是ノ如クシヤ。何故ナレハ。法性ニ背クシヤ。法性緣起不可思議ナルモノデ。順スレハ世間出世間ノ妙安樂ヲ生スル。背ケハ世間出世間ノ妙安樂ヲ失フ。箭ノ絃ヲ離レタル如ク。發スレハ止ラレヌシヤ。愚癡ナル者ハ。火ト云テ口ヲ焚クモノテナク。食ト云テ飢ヲ療ルモノテナキト思ヒ。言辭ヲ容易ニスル。謬ノ甚シキシヤ。肉眼ニコソ見エネ。天命爰ニ定テ身ノ吉凶トナルシヤ。業種爰ニ成シテ永却ノ苦樂昇沈トナルシヤ。法性緣起ニ明了ナル者ハ。一度言フ言葉ニ。地獄餓鬼畜生ノ出來ルコトヲモ自ラ開解スルシヤ。
新字:華厳経ノ中ニ。此犯戒ノ罪ヲ説テ。若妄語スル者ハ。上品ハ地獄ニ堕ス。中品ハ畜生。下品ハ餓鬼ニ生ス。タマタマ人間ニ生テモ二種ノ果報ヲ得。一ニハ人ニ欺カレ。二ニハ他ニ謗ラルルト有ル。此ヲ異熟果ト云。此ヲ等流果ト云。余文ニ。器世間マテモ虚妄ノ余業有テ。農作事業多ク諧偶セストアル。此ヲ增上果ト云。妄語ノ法トシテ是ノ如クシヤ。何故ナレハ。法性ニ背クシヤ。法性縁起不可思議ナルモノデ。順スレハ世間出世間ノ妙安楽ヲ生スル。背ケハ世間出世間ノ妙安楽ヲ失フ。箭ノ絃ヲ離レタル如ク。発スレハ止ラレヌシヤ。愚痴ナル者ハ。火ト云テ口ヲ焚クモノテナク。食ト云テ飢ヲ療ルモノテナキト思ヒ。言辞ヲ容易ニスル。謬ノ甚シキシヤ。肉眼ニコソ見エネ。天命爰ニ定テ身ノ吉凶トナルシヤ。業種爰ニ成シテ永却ノ苦楽昇沈トナルシヤ。法性縁起ニ明了ナル者ハ。一度言フ言葉ニ。地獄餓鬼畜生ノ出来ルコトヲモ自ラ開解スルシヤ。
書き下し
華厳経ノ中ニ。此犯戒ノ罪ヲ説テ。若妄語スル者ハ。上品ハ地獄ニ堕ス。中品ハ畜生。下品ハ餓鬼ニ生ス。タマタマ人間ニ生テモ二種ノ果報ヲ得。一ニハ人ニ欺カレ。二ニハ他ニ謗ラルルト有ル。此ヲ異熟果ト云。此ヲ等流果ト云。余文ニ。器世間マテモ虚妄ノ余業有テ。農作事業多ク諧偶セストアル。此ヲ增上果ト云。妄語ノ法トシテ是ノ如クシヤ。何故ナレハ。法性ニ背クシヤ。法性縁起不可思議ナルモノデ。順スレハ世間出世間ノ妙安楽ヲ生スル。背ケハ世間出世間ノ妙安楽ヲ失フ。箭ノ絃ヲ離レタル如ク。発スレハ止ラレヌシヤ。愚痴ナル者ハ。火ト云テ口ヲ焚クモノテナク。食ト云テ飢ヲ療ルモノテナキト思ヒ。言辞ヲ容易ニスル。謬ノ甚シキシヤ。肉眼ニコソ見エネ。天命爰ニ定テ身ノ吉凶トナルシヤ。業種爰ニ成シテ永却ノ苦楽昇沈トナルシヤ。法性縁起ニ明了ナル者ハ。一度言フ言葉ニ。地獄餓鬼畜生ノ出来ルコトヲモ自ラ開解スルシヤ。
現代語訳
華厳経の中に、この戒を犯す罪を説いて、もし妄語する者は、上品(重いもの)は地獄に堕ち、中品は畜生に、下品は餓鬼に生まれる。たまたま人間に生まれても二種の果報を得る。一つには人に欺かれ、二つには他人に謗られる、とある。これ(悪道に堕ちること)を異熟果と言う。これ(人間での二種の果報)を等流果と言う。ほかの文に、器世間(環境)までも虚妄の余業があって、農作や事業が多くうまくかみ合わない、とある。これを増上果と言う。妄語の法としてこのようなのである。なぜかと言えば、法性に背くからである。法性の縁起は不可思議なもので、順えば世間と出世間の妙なる安楽を生じ、背けば世間と出世間の妙なる安楽を失う。矢が弦を離れたように、放てば止められないのである。愚かな者は、火と言っても口を焼くものではなく、食べ物と言っても飢えを癒すものではないと思って、言葉を容易に扱う。誤りの甚だしいことである。肉眼にこそ見えないが、天命はここに定まって身の吉凶となるのである。業の種はここに成って、永劫の苦楽や浮き沈みとなるのである。法性の縁起に明らかな者は、一度言う言葉に地獄・餓鬼・畜生ができることをも、おのずから理解するのである。
解説
この章句が説くこと
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『正法眼蔵随聞記』巻三如来在世に外道多く如来を謗り悪みき、仏弟子問て云く、如来はもとより柔和を本とし、慈悲を心とす、一切衆生ひとしく恭敬すへし、何か故にか此のごとく随はざる衆生あるや、仏の言く、吾れ昔し衆を領せし時、多く呵噴羯磨を以て弟子をいましめき、是れに依て今かくの如しと律の中に見えたり、然あれば即ち設ひ住持長老として衆を領したりとも、弟子の非をたゞしいさめん時、呵噴の詞を用ゐるべからす、たゞ柔和の詞を以て誠め勧むとも、随ふべくんば随ふべきなり、況や学人親族兄弟等の為に、あらき言を以て人を悪しく呵噴することは一向にやむべきなり、能々意を用うべし、
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『墨子』法儀昔の聖王、禹・湯・文・武は、兼ねて天下の百姓を愛し、率いて以て天を尊び鬼に事う。其の人を利すること多し、故に天、之を福し、立てて天子と為さしめ、天下の諸侯、皆な賓として之に事う。暴王、桀・紂・幽・厲は、兼ねて天下の百姓を惡み、率いて以て天を詬り鬼を侮る。其の人を賊うこと多し、故に天、之を禍し、遂に其の國家を失わしめ、身死して天下に僇と為り、後世の子孫、之を毁り、今に至るまで息まず。故に不善を為して以て禍を得る者は、桀・紂・幽・厲是れなり。人を愛し人を利して以て福を得る者は、禹・湯・文・武是れなり。人を愛し人を利して以て福を得る者は有り、人を惡み人を賊うて以て禍を得る者も亦た有り。
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荀子・大略篇凡そ物は乗じて来たる有り。其の出づるに乗ずる者は、是れ其の反(かへ)りなり。
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説苑・權謀孔子齊景公と坐す。左右白して曰く、「周使來りて廟燔くと言ふ」と。齊景公出でて問ひて曰く、「何の廟ぞや」と。孔子曰く、「是れ釐王の廟なり」と。景公曰く、「何を以て之を知る」と。孔子曰く、「詩に云ふ、『皇皇たる上帝、其の命忒はず』と。天の人に與するや、必ず徳有るに報ゆ。禍も亦た之の如し。夫れ釐王は文武の制を變じて玄黃の宮室を作り、輿馬奢侈にして振ふべからず。故に天其の廟に殃す。是を以て之を知る」と。景公曰く、「天何ぞ其の身に殃せずして其の廟に殃するや」と。子曰く、「天は文王の故を以てなり。若し其の身に殃せば、文王の祀、無乃ち絶えんか。故に其の廟に殃して以て其の過を章かにす」と。左右入りて報じて曰く、「周の釐王の廟なり」と。景公大いに驚き、起ちて拜して曰く、「善き哉、聖人の智、豈に大ならざらんや」と。
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風姿花伝・第七 別紙口伝一、抑、因果とて、よきあしき時のあるも、公案を尽して見るに、ただめづらしき、めづらしからぬの二つなり。おなじ上手にておなじ能を、昨日今日見れども、おもしろやと見えつる事の、今またおもしろくもなき時のあるは、昨日おもしろかりつる心ならひに、今日はめづらしからぬによりて、わるしと見るなり。その後またよき時のあるは、先にわるかりつるものをと思ふ心、まためづらしきに還りて、おもしろくなるなり。されば、この道をきはめをはりて見れば、花とて別にはなきものなり。奥義をきはめて、よろづにめづらしき理をわれと知るならでは、花はあるべからず。経にいはく、善悪不二、邪正一如とあり。本来より、よきあしきとは何をもて定むべきや。ただ時によりて用足る物をばよき物とし、用足らぬをあしき物とす。この風体の品々も、当世の衆人諸所にわたりて、その時のあまねき好みによりて取出す風体、これ用足る為の花なるべし。ここにこの風体をもてあそめば、かしこにまた余の風体を賞翫す。これ、人々心々の花なり。いづれをまこととせんや。ただ時に用ゆるをもて花と知るべし。
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説苑・說叢夫れ水は山に出でて海に入り、稼は田に生じて廩に藏す。聖人は生ずる所を見れば則ち歸する所を知る。