十善法語 / 巻第十・不邪見戒之上
蕭齊ノ時。范績ト云者カ有テ。盛リニ無佛ヲ稱ス。ソノ時竟陵王子良ト云人ハ篤ク佛法ヲ信ス。或時竟陵王カ續ニ謂フ。君ハ因果ヲ信セヌ。今現ニ富貴貧賤アルハイカニト。范績荅フ。人ノ生ルル樹花ノ同ク發ク如シ。風ニ隨テ散スレハ。或ハ簾幌ヲ拂テ茵席ノ上ニ墜ツ。或ハ籬墻ニフレテ糞溷ノ中ニ墜ツ。其菌席ニ墜ル者ハ殿下ナリ。糞溷ニオツル者ハ下官ナリ。貴賤ハ殊ナリト雖トモ。因果ニ關ラヌコトト。此等モ一往聞ケハサモアルヘキ樣ナレトモ。再三思惟シテ看ヨ。道理ニ應セヌ。花ノ風ニ隨テ散スルハ。ナルホト一時ノ拍子ニテ。茵席ノ上ニ墜ルモ。糞溷ノ中ニオツルモ。强テ差別ハナイ。其故花カ當リマヘテ云ニ。茵席ニ落テモ苦モナク樂モナク。好事トモ思ハネハ。惡事トモ思ハヌ。糞溷ニ落テモ苦モナク樂モナク。好事トモ思ハネハ。惡事トモ思ハヌ。人間ハソレトハ大ニ違フ。貧賤ナレハ自身ノミナラス。親屬マテ苦ム。富貴ナレハ自身ノミナラス。親屬マテ榮耀アル。花ノ散ルト同シ樣テハナイ。世智辨聰ノ人ハ譬ノ取リヤウモ當ラヌコトトモシヤ。
新字:蕭斉ノ時。范績ト云者カ有テ。盛リニ無仏ヲ称ス。ソノ時竟陵王子良ト云人ハ篤ク仏法ヲ信ス。或時竟陵王カ続ニ謂フ。君ハ因果ヲ信セヌ。今現ニ富貴貧賤アルハイカニト。范績荅フ。人ノ生ルル樹花ノ同ク発ク如シ。風ニ随テ散スレハ。或ハ簾幌ヲ払テ茵席ノ上ニ墜ツ。或ハ籬墻ニフレテ糞溷ノ中ニ墜ツ。其菌席ニ墜ル者ハ殿下ナリ。糞溷ニオツル者ハ下官ナリ。貴賤ハ殊ナリト雖トモ。因果ニ関ラヌコトト。此等モ一往聞ケハサモアルヘキ様ナレトモ。再三思惟シテ看ヨ。道理ニ応セヌ。花ノ風ニ随テ散スルハ。ナルホト一時ノ拍子ニテ。茵席ノ上ニ墜ルモ。糞溷ノ中ニオツルモ。強テ差別ハナイ。其故花カ当リマヘテ云ニ。茵席ニ落テモ苦モナク楽モナク。好事トモ思ハネハ。悪事トモ思ハヌ。糞溷ニ落テモ苦モナク楽モナク。好事トモ思ハネハ。悪事トモ思ハヌ。人間ハソレトハ大ニ違フ。貧賤ナレハ自身ノミナラス。親属マテ苦ム。富貴ナレハ自身ノミナラス。親属マテ栄耀アル。花ノ散ルト同シ様テハナイ。世智弁聰ノ人ハ譬ノ取リヤウモ当ラヌコトトモシヤ。
書き下し
蕭斉ノ時。范績ト云者カ有テ。盛リニ無仏ヲ称ス。ソノ時竟陵王子良ト云人ハ篤ク仏法ヲ信ス。或時竟陵王カ続ニ謂フ。君ハ因果ヲ信セヌ。今現ニ富貴貧賤アルハイカニト。范績荅フ。人ノ生ルル樹花ノ同ク発ク如シ。風ニ随テ散スレハ。或ハ簾幌ヲ払テ茵席ノ上ニ墜ツ。或ハ籬墻ニフレテ糞溷ノ中ニ墜ツ。其菌席ニ墜ル者ハ殿下ナリ。糞溷ニオツル者ハ下官ナリ。貴賤ハ殊ナリト雖トモ。因果ニ関ラヌコトト。此等モ一往聞ケハサモアルヘキ様ナレトモ。再三思惟シテ看ヨ。道理ニ応セヌ。花ノ風ニ随テ散スルハ。ナルホト一時ノ拍子ニテ。茵席ノ上ニ墜ルモ。糞溷ノ中ニオツルモ。强テ差別ハナイ。其故花カ当リマヘテ云ニ。茵席ニ落テモ苦モナク楽モナク。好事トモ思ハネハ。悪事トモ思ハヌ。糞溷ニ落テモ苦モナク楽モナク。好事トモ思ハネハ。悪事トモ思ハヌ。人間ハソレトハ大ニ違フ。貧賤ナレハ自身ノミナラス。親属マテ苦ム。富貴ナレハ自身ノミナラス。親属マテ栄耀アル。花ノ散ルト同シ様テハナイ。世智弁聰ノ人ハ譬ノ取リヤウモ当ラヌコトトモシヤ。
現代語訳
南朝の斉の時、范績(范縝)という者がいて、盛んに仏は無いと唱えた。その時、竟陵王蕭子良という人は篤く仏法を信じていた。ある時、竟陵王が范縝に言った。「君は因果を信じない。では今、現に富貴と貧賤があるのはどういうわけか」。范縝は答えた。「人が生まれるのは、木の花が同じように咲くようなものです。風に従って散れば、あるものは簾や幕を払ってしとねの上に落ち、あるものは垣根に触れて便所の中に落ちます。しとねの上に落ちたのが殿下であり、便所に落ちたのが私です。貴賤は異なるといっても、因果とは関わりのないことです」。これらも一応聞けばそうもあろうかと思えるが、再三考えてみなさい。道理に合わない。花が風に従って散るのは、なるほど一時の拍子であって、しとねの上に落ちるのも便所の中に落ちるのも、強いて違いはない。というのは、花にとって当たり前のことで言えば、しとねに落ちても苦もなく楽もなく、良いこととも思わなければ悪いこととも思わない。便所に落ちても苦もなく楽もなく、良いこととも思わなければ悪いこととも思わない。人間はそれとは大いに違う。貧賤であれば自分だけでなく親族まで苦しむ。富貴であれば自分だけでなく親族まで栄える。花が散るのと同じようではない。世俗の知恵に長け弁の立つ人は、たとえの取り方も当たらないことばかりである。
解説
この章句が説くこと
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説苑・說叢夫れ水は山に出でて海に入り、稼は田に生じて廩に藏す。聖人は生ずる所を見れば則ち歸する所を知る。
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荀子・大略篇凡そ物は乗じて来たる有り。其の出づるに乗ずる者は、是れ其の反(かへ)りなり。
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