驢鞍橋 / 禅
驢鞍橋(禅)の名句を、現代語訳と実践の解説つきで。全408句。
江戸初期の禅僧、鈴木正三(一五七九〜一六五五)の言行を、弟子の恵中が書き留めた書です。正三は三河の武士で、関ヶ原と大坂の陣に出たのち、四十二歳で出家しました。書名の驢鞍橋は、驢馬の鞍を父親の顎と見間違える愚かさを言う禅語で、恵中が自分の聞き書きを卑下して付けたものです。正三の禅は激しい。仁王のように目を据え、歯を食いしばり、「只今死ぬ」と思って気迫を抜かさない。正三はこれを果眼坐禅と呼び、のちに仁王禅と呼ばれるようになります。静かに座る坐禅を「抜け殻の坐禅」と退け、念を起こすまいとするより須弥山ほどの大きな念を起こせ、と説きます。そして修行の場は山ではなく世間でした。「修行のためには奉公に過ぎたるはなし」。出家したいと願う旗本の若者を、生活の現実と覚悟を突きつけて思いとどまらせる長い一条は、この書の読みどころです。仕事そのものを仏行とする考え(職業即仏行)は、医者には「世界の病人を救えとの天道の仰せ付け」と思って薬代を忘れよと言い、所司代には私情を空にして鏡のように裁けと言い、侍には敵陣に飛び込む念仏を唱えよと言う、という具体的な形で語られます。一方で、無学な女性や老母が教えを一言で受け止めて変わっていく姿を、正三は何度も感嘆をこめて語りました。知識を集める者、悟ったと言う者、人の上に立とうとする者には、容赦がありません。底本は『禅門法語集 続』(光融館・明治二十九年)所収の本文です。保護期間の満了した全文はこの版しか見つからず、突き合わせる証人が立ちません。そのため、OCRの読み違いはこの書の中で同じ語が正しく読めている所や文脈から一件ずつ直し、直した箇所をすべて記録に残しました。どうしても読めない字は□で示しています。師導では卷上(序と第一〜百七十三条。第百三十九条は底本に立たない)と卷下(百五十二条)を四百八の章句に収め、その本文の百パーセントを覆いました。卷中は、底本の頭注が本文の行に一行ずつ割り込んで読まれており、証人なしでは本文と注を切り分けられないため、収めていません。学派は「禅」に置いています。