驢鞍橋 / 卷下
一日、誦經の次、示して曰く、誦經は機のすわる位を本意とす、無理看經、拔殻坐禪抔して機をへらすべからす。只誦經を以て機のすわる位を仕習ふべし、是れ煉磨也
新字:一日、誦経の次、示して曰く、誦経は機のすわる位を本意とす、無理看経、抜殻坐禅抔して機をへらすべからす。只誦経を以て機のすわる位を仕習ふべし、是れ煉磨也
書き下し
一日、誦経の次、示して曰く、誦経は機のすわる位を本意とす、無理看経、抜殻坐禅抔して機をへらすべからす。只誦経を以て機のすわる位を仕習ふべし、是れ煉磨也
現代語訳
ある日、読経のついでに示して言われた。読経は、気迫が据わる位を本意とする。無理な看経や、抜け殻の坐禅などをして、気迫を減らしてはならない。ただ読経によって、気迫が据わる位を習いなさい。これが錬磨である。
解説
お経を読むのは、心の気迫がどっしりと据わる状態をつくるためだ、と正三は言う。無理に長時間経を読んだり、抜け殻のような坐禅をしたりして、かえって気力を減らしてはならない、と。形の上で量をこなすことより、心の張りを保つことが大切である。練習や勉強の時間の長さを誇るより、集中した心の状態をどれだけ保てたかを問う、という今日の学び方にも通じる指針である。
この章句が説くこと
読経気迫錬磨集中量より質修行
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上一日誦経の次て示して曰く、体をすつくと持ち、機をほぞの下に落し付け、眼をすゑて誦経すべし。如是せは誦経を以て禅定の機を修し出すべし。ぬけからに成りて誦せば、功徳とも成るへからすと也。
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『驢鞍橋』卷上一日意の暗き行者を諫めて曰く、其方は先づ言句を錬鍛べて意に徹すへし。彼者云、某一処を守る機有り、熟せば万事に相応すべき間、言句の意を明めて詮なしと存ず。但し無理に强く修すると、意を受くると差別有りや。師曰、中々意暗くしては修行はかどるべからす、先づ其方は専ら意を受習はるべしと也。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、初心行者はいかにもして真実起る様にすべし。真実起らざる先きに無理行抔し、强く坐禅抔すべからす。無理に根機を出し荒行抔すれは、性疲れ機へりて、何の用にも立たす、只在て果す也。何れも覚え有るへし気相悪き時は、常よりも心悪く成る物也。修行と云ふは機を養ひ立つる事也、故に古人も長養といへり。必ず機をへらすへからす。今時無理行をなし、亦ぬけから坐禅をなして、機へりて病者と成り、気違と成る者数を知らす。只志を進め真実を起すへしと也。
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『驢鞍橋』卷上一日語て曰く、我は言句を聞くに、是れは理致にて分かる事、是れは意にて知る、言句によらぬ事ぢやと云ふ事が、聞きと早や胸にて分かる也。各々も修し行せられば、祖意も言句の意も移つるべし。扨亦機の移つると云ふ事知りめされたるか、我も四季の機抔は其儘移つる也。强く錬鍛へて心さへ磨くれば、四時の機も不浄も無常も移つる物なれども、皆機がういて走る程に移つるへき様なし。しつかとした機無くして修行成り難しと也。
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『驢鞍橋』卷下一日、去る人来り曰く何某は殊勝の僧にて、常に誦経計せらるゝ也。師聞て曰く、夫れても娑婆は大切なるべしと也。
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『驢鞍橋』卷下因に曰く、修行と云ふは、機を抜さぬこと一つ也。喩へば機を抜し居る時は、大勢にときをとつと上られては、其儘機を取られて、ぐつとひしげる物也。扨て又機を抜さず居る則んば、大勢にわつと云はれては、其儘その声に乗つてわつと云ふて懸らるゝもの也。大勢の声が却て味方の力に成る物也。何たる强者なりとも、機を抜して居らば、二の息に成るべし。又抜さず守り居ん時、思懸なき処にて、人わつと云へば、其の声に乗て、わつと云つて驚く心少しも有るべからずと也。