驢鞍橋 / 卷上
一日示して曰く、人每に死を忘れて今日角有れば、明日も角有らんと思ふ。亦人人今ではあらじと思ふ物也。究めて聞き事也。左樣に思ひ居たる者共皆死失せし也。彼等も時を知るにあらず、各各やうに思ひし者共也。此理を辨へずあだなる身を我身と思ひ、假の娑婆を我娑婆と思ひ、万才樂と限りなく樂み居る也。如是思懸けなき處に、俄に闇魔の使ふと來り、五臟六腑を責破り、命を責め取る時、眼くらみ耳かすかにして、舌すくみ總身に死苦せまり、苦みの堪えがたきのみならず、命の惜しさ娑婆のなごりの惜しさ云ふ計りなく、前後暗くして何くへ行くと云ふ道やりなく、其時に悔ふるともかひあらんや。
新字:一日示して曰く、人毎に死を忘れて今日角有れば、明日も角有らんと思ふ。亦人人今ではあらじと思ふ物也。究めて聞き事也。左様に思ひ居たる者共皆死失せし也。彼等も時を知るにあらず、各各やうに思ひし者共也。此理を弁へずあだなる身を我身と思ひ、仮の娑婆を我娑婆と思ひ、万才楽と限りなく楽み居る也。如是思懸けなき処に、俄に闇魔の使ふと来り、五臓六腑を責破り、命を責め取る時、眼くらみ耳かすかにして、舌すくみ総身に死苦せまり、苦みの堪えがたきのみならず、命の惜しさ娑婆のなごりの惜しさ云ふ計りなく、前後暗くして何くへ行くと云ふ道やりなく、其時に悔ふるともかひあらんや。
書き下し
一日示して曰く、人毎に死を忘れて今日角有れば、明日も角有らんと思ふ。亦人人今ではあらじと思ふ物也。究めて聞き事也。左様に思ひ居たる者共皆死失せし也。彼等も時を知るにあらず、各各やうに思ひし者共也。此理を弁へずあだなる身を我身と思ひ、仮の娑婆を我娑婆と思ひ、万才楽と限りなく楽み居る也。如是思懸けなき処に、俄に闇魔の使ふと来り、五臓六腑を責破り、命を責め取る時、眼くらみ耳かすかにして、舌すくみ総身に死苦せまり、苦みの堪えがたきのみならず、命の惜しさ娑婆のなごりの惜しさ云ふ計りなく、前後暗くして何くへ行くと云ふ道やりなく、其時に悔ふるともかひあらんや。
現代語訳
ある日示して言われた。人はみな死を忘れて、今日こうであれば、明日もこうであるだろうと思う。また人々は、今ではないだろうと思うものだ。きわめて愚かなことである。そのように思っていた者たちは、みな死に失せたのである。彼らも時を知っていたわけではない。それぞれ同じように思っていた者たちである。この道理をわきまえず、はかない身を自分の身と思い、仮の娑婆を自分の娑婆と思って、万歳楽と限りなく楽しんでいる。このように思いがけないところに、にわかに閻魔の使いが来て、五臓六腑を責め破り、命を責め取るとき、目はくらみ、耳はかすかになり、舌はすくみ、全身に死の苦しみが迫り、苦しみが堪えがたいだけでなく、命の惜しさ、娑婆の名残惜しさは言いようがなく、前後が暗くなって、どこへ行くという道もない。そのときに悔いても、何の甲斐があろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上一日去る処へ至り玉ふに、其家の代官知行処へ往くとて、途中にて少し煩ひ死しける由申来る。師聞き愕然として曰く、扨々不便千万の事哉、我をも娑婆をも実に有ると思ひ居て俄に死す。苦み計り難し、嘆痛敷事也。爰を以て思へは少し志有りて、今か今かと片腰懸けたる様にも思ひ居る者は、亦大なる徳也。其日さまざまの事有り、晩に至りて曰く、一日徒に飮食したり、闇魔王に腹を打破られんすよと也。
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『驢鞍橋』卷上一日亡者弔ひの次て、師愕然として曰く、皆人計りを弔ふ弔ふと思つて、我も頓て弔らはるへしと云ふ事を知らず。仮にも思ひよらず、只有りて俄に詰りてぎくついて死す。さても暗き物哉と也。
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『驢鞍橋』卷上心弥迷惑し、死出の山の大難堪え難く、正念を失ひ、死後畜生の如くにして冥より冥に落入り、其儘餓鬼畜生に体を受けん事、口惜き事に非すや。扨々恐るべき事也。かほとの大事を持ちながら、是れを忘れてたわ事の娑婆に心を抜かし居る事、大なる油断也。能く能く思ひ知り、此大事を平生引受けて守るべし。必ず一大事を忘れて世間に機を抜かすべからすと也。
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『驢鞍橋』卷下一日示めして曰く、娑婆は喜ふ心にては、何としても勢出つべからずと也。又手をひしと打ち、眼をすゑて曰く、あゝ大儀じやよ大儀じやよ、死ぬ時じゆつからんずか、皆忘れて居るらんと也。
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『驢鞍橋』卷上壬辰冬夜の晩示して曰く、月日の立つ事、扨々間も無き事哉。生死大事なり、各々うつかと日を送るへからす。正三か七十に余るを年寄とこそ思はるらん。わかき衆を始め此座中にも、我より年寄有らんも実に不定也。臘月三十日来らずんば知らぬ事なり。必ず油断めさるゝなと也。
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『驢鞍橋』卷上壬辰八月日、一僧某殿大坂御番に一両日中に上り給ふと云ふ。師聞て曰、当春聞きし時は、まだ間有る様に思はれけるが、いつの間にか月日立ち、程無く二三日に推詰りけるよ。我命も今は有る様に思ふが、俄にこそ詰らんずよと也。