驢鞍橋 / 卷下
一日、□事の時、愕然として曰く、扨ても食するもいやなこと哉。一粒に百手の功當ると云ふが、考へて見るに其の筈也。我らが樣の者がむだと食ふ筈では無いと也。
新字:一日、□事の時、愕然として曰く、扨ても食するもいやなこと哉。一粒に百手の功当ると云ふが、考へて見るに其の筈也。我らが様の者がむだと食ふ筈では無いと也。
書き下し
一日、□事の時、愕然として曰く、扨ても食するもいやなこと哉。一粒に百手の功当ると云ふが、考へて見るに其の筈也。我らが様の者がむだと食ふ筈では無いと也。
現代語訳
ある日、□事のとき、はっとして言われた。さても、食べるのも嫌なことだな。一粒に百人の手の功がかかっていると言うが、考えてみるとそのはずである。我々のような者が、むだに食べてよいはずではない、と。
解説
食事の最中にはっとして、正三は、一粒の米に百人の手間がかかっているというが本当にそうだ、自分のような者がむだに食べてよいはずがない、と言う。食べ物が口に入るまでの多くの人の労苦に思い至り、それに見合う生き方をしているかを自らに問う。いただきますという言葉の重みを、改めて感じさせる短い条である。自分を支えている見えない多くの労働への感謝と、応える責任を思わせる。
この章句が説くこと
食事感謝労苦一粒責任自省
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