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驢鞍橋 / 卷下

つきの日、佛法病ある者を呵して曰く、其方は佛法有り、我は佛法なし。何としても格合ふべからす。向後出入無用也。又曰く、總じて人人此腐物を持ちながら、是れに眼を著けす、餘所を沙汰して過す物也。扨て扨て愚也。昨日も正庵大息をつき病み苦むを見て、髓に透ていやな体哉と思はるゝ也。我始めより是れに眼を著けて修す。餘所佛法に眼を着けす、今は大事に成り、いやに迫て居ること、其親に離れたそ、子を殺してずと云ふ樣なことに非す、中中切也。この年迄如是すれとも、隙え明けぬ故に、是とは云はれねども、乍去我程にしつめたる人も多くはあらじと也。

新字:つきの日、仏法病ある者を呵して曰く、其方は仏法有り、我は仏法なし。何としても格合ふべからす。向後出入無用也。又曰く、総じて人人此腐物を持ちながら、是れに眼を著けす、余所を沙汰して過す物也。扨て扨て愚也。昨日も正庵大息をつき病み苦むを見て、髄に透ていやな体哉と思はるゝ也。我始めより是れに眼を著けて修す。余所仏法に眼を着けす、今は大事に成り、いやに迫て居ること、其親に離れたそ、子を殺してずと云ふ様なことに非す、中中切也。この年迄如是すれとも、隙え明けぬ故に、是とは云はれねども、乍去我程にしつめたる人も多くはあらじと也。

書き下し

つきの日、仏法病ある者を呵して曰く、其方は仏法有り、我は仏法なし。何としても格合ふべからす。向後出入無用也。又曰く、総じて人人此腐物を持ちながら、是れに眼を著けす、余所を沙汰して過す物也。扨て扨て愚也。昨日も正庵大息をつき病み苦むを見て、髄に透ていやな体哉と思はるゝ也。我始めより是れに眼を著けて修す。余所仏法に眼を着けす、今は大事に成り、いやに迫て居ること、其親に離れたそ、子を殺してずと云ふ様なことに非す、中中切也。この年迄如是すれとも、隙え明けぬ故に、是とは云はれねども、乍去我程にしつめたる人も多くはあらじと也。

現代語訳

次の日、仏法病のある者を叱って言われた。あなたには仏法がある。私には仏法がない。どうしても話が合うはずがない。今後、出入り無用である。また言われた。おおよそ人々は、この腐ったものを持ちながら、これに目をつけず、よそのことを詮議して過ごすものである。さてさて愚かである。昨日も正庵が大きな息をついて病み苦しむのを見て、骨身にしみて嫌な体だと思われたのである。私は始めからこれに目をつけて修めてきた。よその仏法に目をつけず、今は大事になって、嫌に迫っていること、親に離れたとか、子を殺されたとかいうようなことではない、まったく切実である。この年までこのようにしてきたが、暇が明けないので、これだとは言えないけれども、とはいえ、私ほどに沈めた人も多くはいないだろう、と。

解説

仏法の理屈にとらわれた者を、正三は、お前には仏法があるが自分にはない、話が合わないから出入り無用だ、と突き放す。人は自分の身体という腐りものを抱えながら、そこに目を向けず、よそのことばかり論じている、と。病に苦しむ弟子を見て、この身体の嫌さが骨身にしみた、自分は始めからここに目をつけてきた、と。まだ決着はつかないが、ここまで深く沈めた人は多くない、という言葉に、晩年の静かな自負がにじむ。

この章句が説くこと

仏法病理屈身体自己自負晩年

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