驢鞍橋 / 卷上
一日語て曰く、關東らつはは、我法に緣あらんず性也。就中三河風のつくろい無き性に移らで叶はざる故に、御幡本を賴母敷思ふて居る也。只武勇を嗜み義を專らとする機に移る法なる間、此前より先づ江州佐和山衆を化せんと思ふ。亦北國にては越前、九州にては肥前薩摩と心指しけるが、實にと彼の國々の衆には、此頃聞く人多く有りと也。
新字:一日語て曰く、関東らつはは、我法に縁あらんず性也。就中三河風のつくろい無き性に移らで叶はざる故に、御幡本を頼母敷思ふて居る也。只武勇を嗜み義を専らとする機に移る法なる間、此前より先づ江州佐和山衆を化せんと思ふ。亦北国にては越前、九州にては肥前薩摩と心指しけるが、実にと彼の国々の衆には、此頃聞く人多く有りと也。
書き下し
一日語て曰く、関東らつはは、我法に縁あらんず性也。就中三河風のつくろい無き性に移らで叶はざる故に、御幡本を頼母敷思ふて居る也。只武勇を嗜み義を専らとする機に移る法なる間、此前より先づ江州佐和山衆を化せんと思ふ。亦北国にては越前、九州にては肥前薩摩と心指しけるが、実にと彼の国々の衆には、此頃聞く人多く有りと也。
現代語訳
ある日語って言われた。関東の荒武者は、私の法に縁のある性分だろう。とりわけ三河風の飾り気のない性分に移らなければならない法なので、旗本を頼もしく思っているのである。ただ武勇をたしなみ、義を専らとする気質に移る法だから、以前から、まず近江の佐和山の人々を教化しようと思っていた。また北国では越前、九州では肥前や薩摩と心がけていたが、本当に、あの国々の人々には、近ごろ聞く人が多くいる、と。
解説
自分の教えがどんな人に伝わりやすいかを、正三は冷静に分析している。三河武士らしい飾り気のない荒武者、武勇をたしなみ義を重んじる気質の人々だ、と。そこで、佐和山の井伊家の家臣、越前、肥前、薩摩など、武の気風の強い土地に狙いを定めていたという。教えを誰に届けるかを明確にし、その相手に合った場所で広めるという発想は、今でいう対象を定めた普及の戦略そのものである。
この章句が説くこと
対象普及武士三河戦略義
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