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驢鞍橋 / 卷下

一日、去る在家にて人の戯れ歌を歌ふを聞て曰く、歌ふも舞ふも法の聲と云ふこと、誠に法の聲也。女人より男の念の少きは、何としてもまぎるゝことの多き故に、罪淺しと也。

新字:一日、去る在家にて人の戯れ歌を歌ふを聞て曰く、歌ふも舞ふも法の声と云ふこと、誠に法の声也。女人より男の念の少きは、何としてもまぎるゝことの多き故に、罪浅しと也。

書き下し

一日、去る在家にて人の戯れ歌を歌ふを聞て曰く、歌ふも舞ふも法の声と云ふこと、誠に法の声也。女人より男の念の少きは、何としてもまぎるゝことの多き故に、罪浅しと也。

現代語訳

ある日、ある在家で、人が戯れ歌を歌うのを聞いて言われた。歌うも舞うも法の声、ということは、まことに法の声である。女性より男性のほうが念が少ないのは、どうしても紛れることが多いからで、罪が浅いのである、と。

解説

在家で人が戯れ歌を歌うのを聞いて、正三は、歌うのも舞うのも仏法の声だ、という言葉はまことだ、と言う。前の条で冗談を戒めた正三が、ここでは歌や踊りを肯定している。心を浅くする軽口と、心を晴らして雑念を紛らわす歌とは違う、ということだろう。男性のほうが気を紛らわすことが多いので思い詰めが少ない、という見方には時代の偏りがあるが、気晴らしが心を守るという洞察は今も通じる。

この章句が説くこと

法の声気晴らし思い詰め在家

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