驢鞍橋 / 卷下
一日、何某殿來て曰く、所司代に罷成候へば、心隙なし。如何にしてか安心を得候はんや。師忙き故を問ふ。彼の人曰く、樣々家人共と公事を工み、互にさはきつ、さはかせて鍊磨仕る也。師曰く、左樣に物を工み居て、事の埒明くべからず。只心をばつしと用ゐ、一切を吐出して、常に隙にて居給ふべし。扨て沙汰を持來らば、ぬんと用ひて一物なき心にて、双方の是非を聞かるへし。若し然らば鏡に影の移る如く、聞くと早く胸にて自ら埒明くべし。總而私の最負有るを以てさばき得ぬもの也。正直にさへさばかば、何の陳も入らぬこと也。兎角くとついてはさばかるべからず。若しさばき損せば、罷出て腹切んずと思ひ定め、我心一はいに是非に任せてさばき給ふべし。畢竟平生心を守ること肝要也
新字:一日、何某殿来て曰く、所司代に罷成候へば、心隙なし。如何にしてか安心を得候はんや。師忙き故を問ふ。彼の人曰く、様々家人共と公事を工み、互にさはきつ、さはかせて錬磨仕る也。師曰く、左様に物を工み居て、事の埒明くべからず。只心をばつしと用ゐ、一切を吐出して、常に隙にて居給ふべし。扨て沙汰を持来らば、ぬんと用ひて一物なき心にて、双方の是非を聞かるへし。若し然らば鏡に影の移る如く、聞くと早く胸にて自ら埒明くべし。総而私の最負有るを以てさばき得ぬもの也。正直にさへさばかば、何の陳も入らぬこと也。兎角くとついてはさばかるべからず。若しさばき損せば、罷出て腹切んずと思ひ定め、我心一はいに是非に任せてさばき給ふべし。畢竟平生心を守ること肝要也
書き下し
一日、何某殿来て曰く、所司代に罷成候へば、心隙なし。如何にしてか安心を得候はんや。師忙き故を問ふ。彼の人曰く、様々家人共と公事を工み、互にさはきつ、さはかせて錬磨仕る也。師曰く、左様に物を工み居て、事の埒明くべからず。只心をばつしと用ゐ、一切を吐出して、常に隙にて居給ふべし。扨て沙汰を持来らば、ぬんと用ひて一物なき心にて、双方の是非を聞かるへし。若し然らば鏡に影の移る如く、聞くと早く胸にて自ら埒明くべし。総而私の最負有るを以てさばき得ぬもの也。正直にさへさばかば、何の陳も入らぬこと也。兎角くとついてはさばかるべからず。若しさばき損せば、罷出て腹切んずと思ひ定め、我心一はいに是非に任せてさばき給ふべし。畢竟平生心を守ること肝要也
現代語訳
ある日、某殿が来て言った。所司代になりましたので、心に暇がありません。どのようにして安心を得られましょうか。師は忙しいわけを尋ねた。その人は言った。いろいろと家来たちと訴訟の模擬を工夫し、互いに裁いたり裁かせたりして錬磨しております。師は言われた。そのように物事を工夫してばかりいては、事の決着はつかない。ただ心をばっしと用い、一切を吐き出して、常に暇な心でおられるがよい。さて訴訟を持ってきたら、どっしりと用いて、何もない心で双方の是非を聞かれるがよい。そうすれば、鏡に影が映るように、聞くやいなや胸の中でおのずと決着がつくだろう。おおよそ私の贔屓があるから、裁けないのである。正直にさえ裁けば、何の弁明も要らないことである。とにかく、くどくどと取りついては裁けるものではない。もし裁き損じたら、罷り出て腹を切ろうと思い定め、自分の心いっぱいに、是非に任せて裁かれるがよい。つまるところ、平生心を守ることが肝要である、と。
解説

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『墨子』貴義子墨子曰く、必ず六辟を去れ。嘿すれば則ち思い、言えば則ち誨え、動けば則ち事とす。使者、三たび代御せば、必ず聖人と為らん。必ず喜を去り、怒を去り、樂を去り、悲を去り、愛を去りて、仁義を用いよ。手足口鼻耳、義に従事せば、必ず聖人と為らん。
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史記 刺客列伝厳仲子に見えて曰く、「前日仲子に許さざりし所以の者は、徒だ親在るを以てのみ。今不幸にして母天年を以て終る。仲子の仇を報ぜんと欲する所の者は誰と為す。請ふ事に従ふを得ん」と。厳仲子具に告げて曰く、「臣の仇は韓の相俠累なり。俠累は又韓君の季父なり。宗族盛んに多く、居処兵衛甚だ設く。臣、人をして之を刺さしめんと欲するも、終に能く就る莫し。今足下幸ひにして棄てず。請ふ其の車騎壮士の足下の輔翼と為るべき者を益さん」と。聶政曰く、「韓と衛と、相去ること中間甚だしくは遠からず。今人の相を殺す、相又国君の親なり。此れ其の勢多人なるべからず。多人なれば得失を生ずる無き能はず。得失を生ずれば則ち語泄る。語泄るれば是れ韓国を挙げて仲子と讎と為るなり。豈に殆からずや」と。遂に車騎人徒を謝し、聶政乃ち辞して独り行く。剣を杖つきて韓に至る。韓の相俠累方に府上に坐し、兵戟を持ちて衛侍する者甚だ衆し。聶政直ちに入り、階を上りて俠累を刺殺す。左右大いに乱る。聶政大呼し、撃殺する所の者数十人。
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福沢諭吉小品集・瘠我慢の説・第2段すべてこれ人間の私情に生じたることにして天然の公道にあらずといえども、開闢以来今日に至るまで世界中の事相を観るに、各種の人民相分れて一群を成し、その一群中に言語文字を共にし、歴史口碑を共にし、婚姻相通じ、交際相親しみ、飲食衣服の物、すべてその趣を同うして、自から苦楽を共にするときは、復た離散すること能わず。すなわち国を立てまた政府を設る所以にして、すでに一国の名を成すときは人民はますますこれに固着して自他の分を明にし、他国他政府に対しては恰も痛痒相感ぜざるがごとくなるのみならず、陰陽表裏共に自家の利益栄誉を主張してほとんど至らざるところなく、そのこれを主張することいよいよ盛なる者に附するに忠君愛国等の名を以てして、国民最上の美徳と称するこそ不思議なれ。故に忠君愛国の文字は哲学流に解すれば純乎たる人類の私情なれども、今日までの世界の事情においてはこれを称して美徳といわざるを得ず。すなわち哲学の私情は立国の公道にして、この公道公徳の公認せらるるは啻に一国において然るのみならず、その国中に幾多の小区域あるときは、毎区必ず特色の利害に制せられ、外に対するの私を以て内のためにするの公道と認めざるはなし。たとえば西洋各国相対し、日本と支那朝鮮と相接して、互に利害を異にするは勿論、日本国中において封建の時代に幕府を中央に戴て三百藩を分つときは、各藩相互に自家の利害栄辱を重んじ一毫の微も他に譲らずして、その競争の極は他を損じても自から利せんとしたるがごとき事実を見てもこれを証すべし。
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