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驢鞍橋 / 卷上

師亦曰、今時諸方に安く佛法を授くる人多し、我は授くへき物なし。我處に來ての得所には、何とも成らぬ物ぢやと云ふ事を知らるへし。是れを授け申すぞ。然れとも措かるゝ事に非す、一大事なれば、世々生々に於て種を失はず、終に佛果菩提を成せんと思ふ心は、我も强う持つ也。其方抔も只念佛申しに成りめさるべし。法然抔も念佛の外は菩提の爲めに成る事を知らすと云ふて、一枚起請二枚起請三枚起請迄書置かれたり。我も此行を能く思ふ、先づ此行には病が著かぬ也。大鐘を胸の中にぐわんぐわんと扣き込んで、南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛と力を出して申すべし。惡業少しも面を出すべからず。如是平生用ひて念を滅す事也。

新字:師亦曰、今時諸方に安く仏法を授くる人多し、我は授くへき物なし。我処に来ての得所には、何とも成らぬ物ぢやと云ふ事を知らるへし。是れを授け申すぞ。然れとも措かるゝ事に非す、一大事なれば、世々生々に於て種を失はず、終に仏果菩提を成せんと思ふ心は、我も强う持つ也。其方抔も只念仏申しに成りめさるべし。法然抔も念仏の外は菩提の為めに成る事を知らすと云ふて、一枚起請二枚起請三枚起請迄書置かれたり。我も此行を能く思ふ、先づ此行には病が著かぬ也。大鐘を胸の中にぐわんぐわんと扣き込んで、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と力を出して申すべし。悪業少しも面を出すべからず。如是平生用ひて念を滅す事也。

書き下し

師亦曰、今時諸方に安く仏法を授くる人多し、我は授くへき物なし。我処に来ての得所には、何とも成らぬ物ぢやと云ふ事を知らるへし。是れを授け申すぞ。然れとも措かるゝ事に非す、一大事なれば、世々生々に於て種を失はず、終に仏果菩提を成せんと思ふ心は、我も强う持つ也。其方抔も只念仏申しに成りめさるべし。法然抔も念仏の外は菩提の為めに成る事を知らすと云ふて、一枚起請二枚起請三枚起請迄書置かれたり。我も此行を能く思ふ、先づ此行には病が著かぬ也。大鐘を胸の中にぐわんぐわんと扣き込んで、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と力を出して申すべし。悪業少しも面を出すべからず。如是平生用ひて念を滅す事也。

現代語訳

師はまた言われた。今どき、あちこちで安易に仏法を授ける人が多い。私には授けるべきものはない。私のところに来て得られるのは、どうにもならないものだ、ということを知ることである。これを授けよう。けれども、放っておけることではない。一大事であるから、生まれ変わり死に変わっても種を失わず、ついには仏果菩提を成就しようと思う心は、私も強く持っている。あなたなども、ただ念仏を申す人になりなさい。法然なども、念仏のほかに菩提のためになることを知らないと言って、一枚起請、二枚起請、三枚起請まで書き置かれた。私もこの行をよく思う。まずこの行には病がつかない。大きな鐘を胸の中にぐわんぐわんと叩き込むように、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と力を出して申しなさい。悪業は少しも顔を出すことはない。このように日頃から用いて、思いを滅すのである、と。

解説

安易に悟りを授ける風潮に対し、正三は、自分が授けられるのは、どうにもならないものだと知ることだけだと言う。それでも一大事だから、何度生まれ変わっても成仏を目指す心は強く持つ、と。そして法然の一枚起請文を引き、胸の中で大鐘を打ち鳴らすように力を込めて念仏せよと勧める。禅僧でありながら念仏を重んじた正三の特色がよく出ている。容易に成果を約束する指導への警戒と、力を込めた実践の勧めである。

この章句が説くこと

念仏法然一枚起請文一大事実践

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