驢鞍橋 / 卷上
一日人來りて曰く、下谷去る寺の塔中坊主某、歲百餘に成りけるが、此比生過きたりと云ふて、財寳共を取出し、弟子親類等に一紙半錢も取らせす、盡く他人に打ちくれ、只着の儘に成り、三七日食を留め、臨終正念にづんと餓死せられたりと云ふ。師聞て曰、扨も扨も强者哉。てぎはなる往生也。殊に財寳のしまつ抔は、あつはれ麗居士の振舞に異らすと也。
新字:一日人来りて曰く、下谷去る寺の塔中坊主某、歳百余に成りけるが、此比生過きたりと云ふて、財宝共を取出し、弟子親類等に一紙半銭も取らせす、尽く他人に打ちくれ、只着の儘に成り、三七日食を留め、臨終正念にづんと餓死せられたりと云ふ。師聞て曰、扨も扨も强者哉。てぎはなる往生也。殊に財宝のしまつ抔は、あつはれ麗居士の振舞に異らすと也。
書き下し
一日人来りて曰く、下谷去る寺の塔中坊主某、歳百余に成りけるが、此比生過きたりと云ふて、財宝共を取出し、弟子親類等に一紙半銭も取らせす、尽く他人に打ちくれ、只着の儘に成り、三七日食を留め、臨終正念にづんと餓死せられたりと云ふ。師聞て曰、扨も扨も强者哉。てぎはなる往生也。殊に財宝のしまつ抔は、あつはれ麗居士の振舞に異らすと也。
現代語訳
ある日、人が来て言った。下谷のある寺の塔頭の坊主某は、百歳余りになったが、近ごろ生き過ぎたと言って、財宝などを取り出し、弟子や親類などには一紙半銭も取らせず、ことごとく他人にくれてやり、ただ着のみ着のままになって、二十一日食を断ち、臨終正念のまますんなりと餓死されたそうです。師は聞いて言われた。なんとも強い者だ。見事な往生である。とりわけ財宝の始末などは、あっぱれ龐居士の振る舞いと変わらない、と。
解説
百歳を過ぎた僧が、財産をすべて他人に与え、食を断って安らかに亡くなったという話を、正三は見事な往生だと称える。財宝を身内に残さず他人に施したことを、財産を川に沈めたという唐の龐居士になぞらえている。今日の感覚では断食死をそのまま勧めることはできないが、生の終わりを自ら引き受け、財産への執着をきれいに断った潔さへの賞賛として読める。終わり方を自分で整えるという考えを示す条である。
この章句が説くこと
往生財産龐居士潔さ終活執着
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上一日人来り曰く、我死せは其儘袋に入れて焼くへしと常々申付くる也。師聞て曰く、昔異国に世に知られたる兵有り、彼其方の如く遺言して其儘死骸を埋めしめたり。時の人是れを死ぬる事は得たれ共、からたを捨つる事を得すと、詩に迄作りて批判せし事有り。然る間其方も只捨てらるへし、願くは犬鳥に喰はせたるも好き也。
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『驢鞍橋』卷下己の五月廿八日の暁曰く、御坊主達もきつと弓を張りたるか如く、張合の心出るや、扨て又痛い痒いと、一切に付ていやな体哉と、きつと境界と張合て居る心有るやと也。去る者、何某病気なるが、一定死に窮て居ると語る。師聞て曰く、扨ても强者哉、是れ貴き人也。老病究りても、心しに切れぬ物也。
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『驢鞍橋』卷下師神田に至り給ふに及んで、彼の宿所の傍に二間四方の小坐敷あるを見て、好き死所見付けたり、これにて死せんずよと云て彼に入り給ふ。意斎、正智のみ常に左右に侍す。時に一僧、師に啓して曰く、医者衆御脉悪しと申す也、御気色如何候や。師笑て曰く、正三は三十年以前に死して置いたりと也。
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『驢鞍橋』卷下一日、僧玄石臨終に示して曰く、いつ迄生きても何の替はることなし、苦体の腐物を、一日なりとも早く打捨るは好きこと也、先つ今生の隙明け也。我も此年迄生きたれども、何の変もなし。道元和尚抔を隙の明きた人の様にこそ思はるらん。未た仏境界に非す、其自由に成る物に非す。思ひを達せぬ者、汝一人のみに非す。誰れと云つても、いつ迄御生ありても、何の変も有るまし。先つ片時なりとも早く、この腐物を打捨ること、扨ても好きこと也。我も頓て行くずと有りければ、その僧正念にして往生す、生年十九歳也。
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『驢鞍橋』卷下師始め室を閉つといへとも、末後両三日に至て諸人の見舞を致すことを許し給ふ。時に一僧なほなほ法要を示し給へと云ふ。師はつたと睨んて曰く、何と云ふ□、我三十年云ふことをえうけずして、左様のことを云ふか、正三は死ぬと也。その後法要を問ふ者なし。時に明暦元年乙未六月二十五日申の刻、安然として遷化し給ふ也。
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『驢鞍橋』卷上一日去る処へ至り玉ふに、其家の代官知行処へ往くとて、途中にて少し煩ひ死しける由申来る。師聞き愕然として曰く、扨々不便千万の事哉、我をも娑婆をも実に有ると思ひ居て俄に死す。苦み計り難し、嘆痛敷事也。爰を以て思へは少し志有りて、今か今かと片腰懸けたる様にも思ひ居る者は、亦大なる徳也。其日さまざまの事有り、晩に至りて曰く、一日徒に飮食したり、闇魔王に腹を打破られんすよと也。