驢鞍橋 / 卷上
其夜數度小用に出で給ふに、一僧好く起き合ひければ、師見て曰く、其方餘り眠らざる性を持つ好き事也。何としても夜ぐつさりと眠入る性は成らぬ也。いつの間にか修し行すべき、眠り深き者は死人に同じ、其樣なる性は堪忍して、五日十日は勤むとも、頓て草臥れ一倍眠る物也。兎角眠の覺むる程眞實を起すべき也。何と眠る性なりとも、何某奥程も死ぬ機起りたらば眠られまじ。時に一僧問、其奧方は死を大儀に思ふ心起りて眠れざるか、亦只今死ぬ樣に切に成りて眠られざるや。師曰く、どれと云ふ事はなし、少し大事を引受ければ、うつかとは眠られざる物也。
新字:其夜数度小用に出で給ふに、一僧好く起き合ひければ、師見て曰く、其方余り眠らざる性を持つ好き事也。何としても夜ぐつさりと眠入る性は成らぬ也。いつの間にか修し行すべき、眠り深き者は死人に同じ、其様なる性は堪忍して、五日十日は勤むとも、頓て草臥れ一倍眠る物也。兎角眠の覚むる程真実を起すべき也。何と眠る性なりとも、何某奥程も死ぬ機起りたらば眠られまじ。時に一僧問、其奥方は死を大儀に思ふ心起りて眠れざるか、亦只今死ぬ様に切に成りて眠られざるや。師曰く、どれと云ふ事はなし、少し大事を引受ければ、うつかとは眠られざる物也。
書き下し
其夜数度小用に出で給ふに、一僧好く起き合ひければ、師見て曰く、其方余り眠らざる性を持つ好き事也。何としても夜ぐつさりと眠入る性は成らぬ也。いつの間にか修し行すべき、眠り深き者は死人に同じ、其様なる性は堪忍して、五日十日は勤むとも、頓て草臥れ一倍眠る物也。兎角眠の覚むる程真実を起すべき也。何と眠る性なりとも、何某奥程も死ぬ機起りたらば眠られまじ。時に一僧問、其奥方は死を大儀に思ふ心起りて眠れざるか、亦只今死ぬ様に切に成りて眠られざるや。師曰く、どれと云ふ事はなし、少し大事を引受ければ、うつかとは眠られざる物也。
現代語訳
その夜、何度も小用に出られたが、一人の僧がよく起き合わせたので、師はそれを見て言われた。あなたはあまり眠らない性分を持っている。良いことだ。どうしても、夜ぐっすり眠り込む性分ではだめである。いつの間に修行するのか。眠りの深い者は死人と同じだ。そのような性分は、我慢して五日、十日は勤めても、やがて疲れて倍眠るものだ。とにかく眠りが覚めるほど真実を起こしなさい。どれほど眠る性分でも、某の奥方ほど死ぬ気迫が起こったら、眠れないだろう。そのとき一人の僧が尋ねた。その奥方は、死を大儀に思う心が起こって眠れないのですか、それとも、ただ今死ぬように切実になって眠れないのですか。師は言われた。どれということはない。少しでも大事を引き受ければ、うっかりとは眠れないものである、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上夜話に曰く、修行と云ふ物、中中上り難き物也。我今十二時中坐禅ならさる事なし。喩へは大勢に交り、上下へかえし、相撲を取り、躍をゝとり、何程はね狂ひたりとも、坐禅の機少しもたじろくへからす。また好く若き時より心つきて自己を守りしが、其時分よりはや念には勝つてばかされざる也。夫れより次第よく修しつめ何たる事にもたじろかぬほどに仕付けたれども、まだ夫れでも生死の為めには不成、中々大儀な物也。
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『驢鞍橋』卷上夜話の次て、去る者我元より死をなにとも思はぬと云ふ。師聞て曰く、其はよき事にこそあらんずが、修行は上がるべからす。我は死ぬかいやなに因つて、生き通しにして死なぬ身と成りたさに修行はする也。死なぬ身とならぬ中は、世々生々をかけて修せんと思ふ機慥に持つ也。亦其方死をなにとも思はぬと云ふても、道人には非す、さありとも自己の主人六根自由する物を知るへからすと也。
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『驢鞍橋』卷下一老兄、予に語て曰く、師この前、三州にて一大事に責められ、黄なるたんを吐き、近処の者驚くほどのといきをつき給ふ。傍よりは直に胸中燃え給ふかと思はれたり。その時分は暁方一睡外眠り給はす、我らに向て、扨ても心安く眠ると哉と、夜毎に仰せ有りしと也。
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『驢鞍橋』卷上去る暁衆中に向て曰く、何と御坊主達、次第に真実に成るや、少しも起る心有りや。亦曰、其方達も泣長老と成り、大寺の住持と成るへからず。只一盃庵に心安く居たるが、修行の為めには增しなるへし。其れでも後には富貴に成る者なり。能く用心すへき也。亦一僧、師の胸をさするに向て曰、我胸不断指張りて居る也。殊に暁は一入切也。是れを少し其方達に遣りたしと也。
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『驢鞍橋』卷上夜話の次て去る者問ふ、今時の修行者或は病者と成り、或は気違と成り、様々錯り多しと見えたり。是れ何れの道理なりや。師答て曰く、只造作なく成る物と思ふ故に皆錯る也。為し難き物と云ふ事を知つて勤めは錯るべからず。又問ふ、無理に真実を起さんとするも錯りなるへきや。師答て曰く、起し様さへ能くんは錯りあるべからずと也。
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『驢鞍橋』卷上師亦曰く、其辺にては若き衆、法を聞き伎量過ぐると云ふ沙汰なしや。我少しあぶなく思ふ也。彼人、沙汰無しと云ふ。師亦曰、其地の何某は此前死苦に責られける間、今に頼敷思ふが、弥修行募りて見ゆるや。彼人、今程沙汰もなしと云ふ。師曰、一一死死の来る事有りとも油断し、娑婆すきに成りたらば、跡もなくなるへし。少々死の来る様也共、ひしと死機に成る事は、功を積まずんば有るべからす。我も六十余りにして慥に是れを知ると也。