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驢鞍橋 / 卷上

亦良有て曰く、此分に於ては正三は心安し、人に尊ばるゝと云ふ事髄に透つていや也。天然と人に負くる性にて、何たる賤しき者よりも下に成りて居る位有り、少しも能く成りたると思はず、つんど本の九太にて居る也。考へて見れば人に增したる事もあり、語抔の僉議に臨んでは誰が云ふを聞てももどかはしゝ、古人の言句さへさして有難くも思はぬ事多し。然れども平生唯おそい物に成つて居る也。是程不思議なる事なし、よう尋ぬれば是れも此糞袋がわるうて居ると、亦何とも成らぬとが本に成つた也。時に人問、古人の語にも錯り有りや。師曰く、祖師と云ふても佛にてはなし、錯りなくては。其は流石御佛也、何と聞いても佛語には、いなと思はるゝ事一言でもなしと也。

新字:亦良有て曰く、此分に於ては正三は心安し、人に尊ばるゝと云ふ事髄に透つていや也。天然と人に負くる性にて、何たる賤しき者よりも下に成りて居る位有り、少しも能く成りたると思はず、つんど本の九太にて居る也。考へて見れば人に增したる事もあり、語抔の僉議に臨んでは誰が云ふを聞てももどかはしゝ、古人の言句さへさして有難くも思はぬ事多し。然れども平生唯おそい物に成つて居る也。是程不思議なる事なし、よう尋ぬれば是れも此糞袋がわるうて居ると、亦何とも成らぬとが本に成つた也。時に人問、古人の語にも錯り有りや。師曰く、祖師と云ふても仏にてはなし、錯りなくては。其は流石御仏也、何と聞いても仏語には、いなと思はるゝ事一言でもなしと也。

書き下し

亦良有て曰く、此分に於ては正三は心安し、人に尊ばるゝと云ふ事髄に透つていや也。天然と人に負くる性にて、何たる賤しき者よりも下に成りて居る位有り、少しも能く成りたると思はず、つんど本の九太にて居る也。考へて見れば人に增したる事もあり、語抔の僉議に臨んでは誰が云ふを聞てももどかはしゝ、古人の言句さへさして有難くも思はぬ事多し。然れども平生唯おそい物に成つて居る也。是程不思議なる事なし、よう尋ぬれば是れも此糞袋がわるうて居ると、亦何とも成らぬとが本に成つた也。時に人問、古人の語にも錯り有りや。師曰く、祖師と云ふても仏にてはなし、錯りなくては。其は流石御仏也、何と聞いても仏語には、いなと思はるゝ事一言でもなしと也。

現代語訳

また、しばらくして言われた。この点において、正三は心安い。人に尊ばれるということは、骨身にしみて嫌である。生まれつき人に負ける性分で、どんな卑しい者よりも下になっている位がある。少しも立派になったと思わず、すっかり元の九太(俗名の九太夫)のままでいる。考えてみれば、人にまさったこともある。語録などの詮議に臨んでは、誰が言うのを聞いてももどかしく、古人の言葉さえ、さしてありがたく思わないことが多い。けれども日頃は、ただ鈍い者になっている。これほど不思議なことはない。よく尋ねれば、これもこの糞袋が悪いのと、また、どうにもならない、ということが本になったのである。そのとき人が尋ねた。古人の言葉にも誤りがありますか。師は言われた。祖師といっても仏ではない。誤りがなくてどうしようか。それはさすがに御仏である。何と聞いても、仏の言葉には、いや、と思われることは一言もない、と。

解説

人に尊ばれるのは骨身にしみて嫌だ、自分は生まれつき誰よりも下になる性分で、今も出家前の九太夫のままだ、と正三は言う。一方で、語録の議論では誰の話ももどかしく、古人の言葉さえありがたく思わない、とも。自分の力量への自覚と、日常の徹底した低姿勢が同居しているのを、自ら不思議がる。祖師にも誤りはある、だが仏の言葉には一言も異論がない、という結びに、権威と本物を見分ける目がうかがえる。

この章句が説くこと

謙虚低姿勢権威祖師本物自己認識

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