驢鞍橋 / 卷上
一日若き侍衆に示して曰く、若い衆血氣を賴にして、修せずともと思ふ事莫かれ。修して損はをり無いぞ、强いは强いほと强う成り、弱いは次第に强うなる也。亦曰、强い心を以て作す時は、何をなしても天然と能き物也。然れども、分別にてせねばと云ふ機捨てえぬ物也。
新字:一日若き侍衆に示して曰く、若い衆血気を頼にして、修せずともと思ふ事莫かれ。修して損はをり無いぞ、强いは强いほと强う成り、弱いは次第に强うなる也。亦曰、强い心を以て作す時は、何をなしても天然と能き物也。然れども、分別にてせねばと云ふ機捨てえぬ物也。
書き下し
一日若き侍衆に示して曰く、若い衆血気を頼にして、修せずともと思ふ事莫かれ。修して損はをり無いぞ、强いは强いほと强う成り、弱いは次第に强うなる也。亦曰、强い心を以て作す時は、何をなしても天然と能き物也。然れども、分別にてせねばと云ふ機捨てえぬ物也。
現代語訳
ある日、若い侍衆に示して言われた。若い衆は、血気を頼みにして、修めなくてもよいと思ってはならない。修めて損はないぞ。強い者は強いほど強くなり、弱い者は次第に強くなるのである。また言われた。強い心でするときは、何をしても自然と良いものだ。けれども、分別でしなければという気持ちは捨てられないものである、と。
解説
若さと血気に任せて、修行など要らないと思う若い侍に、正三は、修めて損はない、強い者はより強く、弱い者も次第に強くなる、と励ます。才能や若さに恵まれた人ほど、基礎の鍛錬を軽んじがちだが、鍛錬は強い者をさらに伸ばし、弱い者を底上げする。強い心で行えば何事もうまくいくのに、人は理屈で考えなければという思いを捨てられない、とも付け加える。誰にとっても鍛錬は裏切らないという、明快な励ましである。
この章句が説くこと
鍛錬若さ血気成長励まし分別
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