驢鞍橋 / 卷上
一日去る若き僧の志有りて、望を休したるに向て曰く、まだいかなる大難にも逢はんずか、幾年を送らん事大儀也。乍去望を離れよくは仕爲し來れり、なにとぞ次第に募らせたし、まだ末しれぬ事也。心元なし。旨少し違ひて志失せれば、娑婆に責められ、忽ち苦を受くる物也。兎角後世願ひの中を離れざるが好き也。亦やゝ有りて自ら身を叩へて曰、扨も何の用にも立たぬ物哉物哉と也。
新字:一日去る若き僧の志有りて、望を休したるに向て曰く、まだいかなる大難にも逢はんずか、幾年を送らん事大儀也。乍去望を離れよくは仕為し来れり、なにとぞ次第に募らせたし、まだ末しれぬ事也。心元なし。旨少し違ひて志失せれば、娑婆に責められ、忽ち苦を受くる物也。兎角後世願ひの中を離れざるが好き也。亦やゝ有りて自ら身を叩へて曰、扨も何の用にも立たぬ物哉物哉と也。
書き下し
一日去る若き僧の志有りて、望を休したるに向て曰く、まだいかなる大難にも逢はんずか、幾年を送らん事大儀也。乍去望を離れよくは仕為し来れり、なにとぞ次第に募らせたし、まだ末しれぬ事也。心元なし。旨少し違ひて志失せれば、娑婆に責められ、忽ち苦を受くる物也。兎角後世願ひの中を離れざるが好き也。亦やゝ有りて自ら身を叩へて曰、扨も何の用にも立たぬ物哉物哉と也。
現代語訳
ある日、志があって出世の望みをやめた若い僧に向かって言われた。これからどんな大難に遭うだろうか。何年も送ることは大儀である。とはいえ、望みを離れてよくやってきた。どうか次第に志を募らせてほしい。まだ先の分からないことだ。心もとない。心の向きが少し違って志が失せれば、娑婆に責められて、たちまち苦しみを受けるものである。とにかく後世を願う人々の中を離れないのがよい、と。また、しばらくして自ら身を叩いて言われた。なんとも役に立たないものだな、役に立たないものだな、と。
解説
出世の望みを捨てて修行を志した若い僧を、正三は褒めつつも心配する。先は長く、どんな困難に遭うか分からない。志は少し向きが違うだけですぐ失せる。だから同じ志を持つ仲間の中を離れるな、と。志を保つには、個人の意志の強さより、同じ道を行く仲間の存在が大切だという知恵である。その後、自分の体を叩いて、役に立たないものだと言う姿に、老いてなお修行の途上にある正三の実感がにじむ。
この章句が説くこと
志仲間若手支え後世継続
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