驢鞍橋 / 卷下
一日去る者曰く、何某和尙は、親切の振あれとも、師を無作法ありと云つて、殊外誹り給ふと云ふ。師聞て曰く、是れ謗するに非ず、彼は始めより出家なれば、何としても作法好し。我は禪門入道なれば惡しと也。又彼者曰く、いや無實を以て謗せらるゝ也。師曰く總而人を惡しく云へば、我好き者に成ると思ふて云ふもの也。彼人左樣の初心な處少し有る人と也。
新字:一日去る者曰く、何某和尚は、親切の振あれとも、師を無作法ありと云つて、殊外誹り給ふと云ふ。師聞て曰く、是れ謗するに非ず、彼は始めより出家なれば、何としても作法好し。我は禅門入道なれば悪しと也。又彼者曰く、いや無実を以て謗せらるゝ也。師曰く総而人を悪しく云へば、我好き者に成ると思ふて云ふもの也。彼人左様の初心な処少し有る人と也。
書き下し
一日去る者曰く、何某和尚は、親切の振あれとも、師を無作法ありと云つて、殊外誹り給ふと云ふ。師聞て曰く、是れ謗するに非ず、彼は始めより出家なれば、何としても作法好し。我は禅門入道なれば悪しと也。又彼者曰く、いや無実を以て謗せらるゝ也。師曰く総而人を悪しく云へば、我好き者に成ると思ふて云ふもの也。彼人左様の初心な処少し有る人と也。
現代語訳
ある日、ある者が言った。某和尚は親切な振る舞いがありますが、師を無作法だと言って、ことのほかそしっておられる、と言います。師は聞いて言われた。これはそしっているのではない。あの方は始めから出家だから、どうしても作法がよい。私は禅門入道だから悪い、ということだ。その者はまた言った。いいえ、根も葉もないことでそしっておられるのです。師は言われた。おおよそ人を悪く言えば、自分が良い者になると思って言うものである。あの人は、そういう初心なところが少しある人だ、と。
解説

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