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驢鞍橋 / 卷上

夜話に曰く、修行と云ふ物、中中上り難き物也。我今十二時中坐禪ならさる事なし。喩へは大勢に交り、上下へかえし、相撲を取り、躍をゝとり、何程はね狂ひたりとも、坐禪の機少しもたじろくへからす。また好く若き時より心つきて自己を守りしが、其時分よりはや念には勝つてばかされざる也。夫れより次第よく修しつめ何たる事にもたじろかぬほどに仕付けたれども、まだ夫れでも生死の爲めには不成、中々大儀な物也。

新字:夜話に曰く、修行と云ふ物、中中上り難き物也。我今十二時中坐禅ならさる事なし。喩へは大勢に交り、上下へかえし、相撲を取り、躍をゝとり、何程はね狂ひたりとも、坐禅の機少しもたじろくへからす。また好く若き時より心つきて自己を守りしが、其時分よりはや念には勝つてばかされざる也。夫れより次第よく修しつめ何たる事にもたじろかぬほどに仕付けたれども、まだ夫れでも生死の為めには不成、中々大儀な物也。

書き下し

夜話に曰く、修行と云ふ物、中中上り難き物也。我今十二時中坐禅ならさる事なし。喩へは大勢に交り、上下へかえし、相撲を取り、躍をゝとり、何程はね狂ひたりとも、坐禅の機少しもたじろくへからす。また好く若き時より心つきて自己を守りしが、其時分よりはや念には勝つてばかされざる也。夫れより次第よく修しつめ何たる事にもたじろかぬほどに仕付けたれども、まだ夫れでも生死の為めには不成、中々大儀な物也。

現代語訳

夜話で言われた。修行というものは、なかなか上達しにくいものである。私は今、一日中坐禅でないときはない。たとえば大勢に交じり、上下へ返し、相撲を取り、踊りを踊り、どれほど跳ね狂ったとしても、坐禅の気迫は少しもたじろぐことはない。また、若いときから気がついて自己を守ってきたが、その頃から早くも思いには勝って、化かされなかった。それから次第によく修め詰めて、何事にもたじろがないほどに身につけたけれども、まだそれでも生死のためにはならない。なかなか大儀なものである、と。

解説

正三にとって坐禅は、坐っている時間だけのものではない。大勢と騒いでも、相撲を取っても、踊っても、心の張りは崩れない。それほど修め詰めてもなお、生死の問題を越えるには足りない、と七十歳を過ぎた正三が率直に言う。極めた人ほど道の遠さを語るという点で、謙虚な実感がこもる。仕事の場でも、特別な集中の時間だけでなく、雑談や移動の間にも心の軸を保てるか、が本当の力量だと教えてくれる。

この章句が説くこと

坐禅日常心の軸謙虚生死修行

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