驢鞍橋 / 卷下
一日、示して曰く、常に禪定に住し習ふべしと言ふは、常住機を抜さぬこと也。明日死すと窮らば、無理にも機は抜されまし、死を忘るゝ故に、機は拔ける也。齒を喰合せ眼をすゑ、只今死すと守るべし。何としても只は抜けかちの物也。責めて憂成るほどなくては叶はす。勇猛の機も、是れより出つる也。扨て又只今死するは、眼前のこと也。油斷せらるゝことに非ずと也。
新字:一日、示して曰く、常に禅定に住し習ふべしと言ふは、常住機を抜さぬこと也。明日死すと窮らば、無理にも機は抜されまし、死を忘るゝ故に、機は抜ける也。歯を喰合せ眼をすゑ、只今死すと守るべし。何としても只は抜けかちの物也。責めて憂成るほどなくては叶はす。勇猛の機も、是れより出つる也。扨て又只今死するは、眼前のこと也。油断せらるゝことに非ずと也。
書き下し
一日、示して曰く、常に禅定に住し習ふべしと言ふは、常住機を抜さぬこと也。明日死すと窮らば、無理にも機は抜されまし、死を忘るゝ故に、機は抜ける也。歯を喰合せ眼をすゑ、只今死すと守るべし。何としても只は抜けかちの物也。責めて憂成るほどなくては叶はす。勇猛の機も、是れより出つる也。扨て又只今死するは、眼前のこと也。油断せらるゝことに非ずと也。
現代語訳
ある日示して言われた。常に禅定に住することを習え、というのは、いつも気迫を抜かさないことである。明日死ぬと決まったら、無理にでも気迫は抜かされないだろう。死を忘れるから、気迫は抜けるのである。歯を食いしばり、眼を据えて、ただ今死ぬと守りなさい。どうしても、ただでは抜けがちなものだ。せめて憂いが迫るほどでなくてはかなわない。勇猛の気迫も、ここから出るのである。さてまた、ただ今死ぬというのは、目の前のことである。油断してよいことではない、と。
解説
いつも禅定にあるとは、心の張りを抜かさないことだ、と正三は言う。明日死ぬと決まっていれば、誰でも気は抜けないはずだ、気が抜けるのは死を忘れるからだ、と。歯を食いしばり、目を据えて、今死ぬと思って過ごせ、勇猛心もそこから生まれる、と。そして、今死ぬというのは比喩ではなく、目の前にある現実だ、と念を押す。締め切りが迫ると集中できるように、終わりを意識することが今を充実させるという教えである。
この章句が説くこと
死の自覚禅定集中気迫勇猛心油断
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下一日、沈坐禅を作す者に示して云ふ、詮なきことを作さんより、只死ぬことをし習ひめされよ、別のことは入らぬ也。無理死に死習つて、夢中ともに抜けぬほどにすべし。扨て又只今打腐るゝ腐物を秘蔵して居ること哉。熱い寒い、痛い痒い、一つとして苦ならずと云ふことなし。扨てもいやな苦体哉と、きつと睨付けて、平生境界と張合て居る念を起すべし。我上にはさも見えまいが、我と機を着て見れば、奥牙を咬合せ、眼をすゑてきつと睨着けて居る機に成て常住ある也。またよう若き時から如是有りし也。奥牙と云はねば云はれぬに仍て云ふ、奥牙ではなし、奥牙と前歯との間の歯也。之をきつと食合せ、眼をすゑ、じりじりと睨付けて居る機也。爰を以て果眼坐禅と云ふ也。又自らきつとねぢ廻はしたるまねをなして曰く、八幡と云つてかう懸つた時、爰にすわつた機か有る、之を云ふ也。この機を用ひば、諸念自ら碍るべからず。我坐禅は此の如し。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、誰も憂き事に逢ふては死に度き事も有るべし。只栄耀にして機をへらし居られば、老ても命の惜き事は、若者と替りあるべからす。少々にして娑婆の隙明くべからず。其方達も十二時中眼をすゑ、拳を握り、せぼねを引立て、臍の下より勇猛の心湧出づる程に修すべしと也。
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『驢鞍橋』卷上一日去る長老来云、某此比坐禅の時、只今死す死すと云ふ気少しの間起る也。是れは気のへりたる儀なるへしや。師聞て曰く、夫れは内より我に授くる也、第一能事也。此機起らさる者は、外より授くる事也。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、修行と云ふは勇猛の機一つ也。此心無くんば何たる行業も何たる善心も、皆徒事也。如来坐禅と二王坐禅と、あまり隔てあるべからず。面に現はしたると内に用ゐたるの替りなるべし。勇猛の機なくして、なにとして凡夫心にて死する時少しも使はれんや。亦なにを以て一切に勝つへきや。我は此機を頓て修し出したる間、人毎に頓て移らんずと思へとも、一人でも受けたる者なし。然れば是れ迄も修し付け難く、移し難き物と見えたり。時に去る者問、如何様にして此機を修し出すべきや。師示日、眼をすゑて死習ふ外なし。此糞袋をかたきにしてひた責めに責むべし。我が書く処の捨身の位、自己を守るの位をよく見て修せば、必す此機自然に起るへしと也。
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『驢鞍橋』卷上一日或僧に示して曰く、出家は古則を守り習ふが好き也。趙州の無を見るべし。機を强く用ひ、十二時中一切の上に於て、無々々々と守り、夢中ともに抜けぬ程にすべし。就中死を守るは失なしと也。
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『驢鞍橋』卷下一日示めして曰く、娑婆は喜ふ心にては、何としても勢出つべからずと也。又手をひしと打ち、眼をすゑて曰く、あゝ大儀じやよ大儀じやよ、死ぬ時じゆつからんずか、皆忘れて居るらんと也。