師導古典を学びたいすべての人に

驢鞍橋 / 卷上

其儀と云ふは先つ寺方へ寺領寺地御免あつて、無役に召置かるゝ事あつたら事なる間、是れに役儀を申付くべし。其役と云ふは諸檀那をよく勸むべし。若し男女によらず、檀那の中より惡人出てば、其寺の過として住持を法度に行ふへしと申付くべき也。扨其勸め樣と云ふは、畜生と人間との理を敎ふべし。夫れ人間と云ふは、自ら忘れて他を惠み、危きを救ひ、窮れるを助け、物毎に情けを先とし、憐む心有るを仁とすと云へり。慈悲正直にして義を正すを人間と敎へ、扨亦人の面をはつて我手柄とし、面かまちにて人を驚し、我に劣るを賤しめ、及ばざるをそねみ、欲心我慢を專とする者は、如何に形人間なり共、是れ畜生也と能く能く云ひ聞かせ、檀那衆必ず畜生に成りめさるゝな、畜生に成つて此僧迄迷惑に逢はせ給ふなと云ひ渡し、男は二良太郞と云ふ時分より、女は千代ねと云ふ比より、此二つの分を云ひ含め、あの畜生めがあの畜生めがと、時々にしからすべし。少々ははりつけ塲に大なる山犬の口耳の根までさけたるを造り、畜生道の本尊と成し、惡心不義を起す度每に、あの畜生め、頓て畜生道にゆかんずやつめ哉やつめ哉としかるべし。然る每に角云つてかどさば俄には直らずとも、自然には殊の外治まるべし。如是せば、今時其儒者の仁義禮智抔と敎ふる樣な事にあるべからず、大に人直に成る事也。

新字:其儀と云ふは先つ寺方へ寺領寺地御免あつて、無役に召置かるゝ事あつたら事なる間、是れに役儀を申付くべし。其役と云ふは諸檀那をよく勧むべし。若し男女によらず、檀那の中より悪人出てば、其寺の過として住持を法度に行ふへしと申付くべき也。扨其勧め様と云ふは、畜生と人間との理を教ふべし。夫れ人間と云ふは、自ら忘れて他を恵み、危きを救ひ、窮れるを助け、物毎に情けを先とし、憐む心有るを仁とすと云へり。慈悲正直にして義を正すを人間と教へ、扨亦人の面をはつて我手柄とし、面かまちにて人を驚し、我に劣るを賤しめ、及ばざるをそねみ、欲心我慢を専とする者は、如何に形人間なり共、是れ畜生也と能く能く云ひ聞かせ、檀那衆必ず畜生に成りめさるゝな、畜生に成つて此僧迄迷惑に逢はせ給ふなと云ひ渡し、男は二良太郎と云ふ時分より、女は千代ねと云ふ比より、此二つの分を云ひ含め、あの畜生めがあの畜生めがと、時々にしからすべし。少々ははりつけ塲に大なる山犬の口耳の根までさけたるを造り、畜生道の本尊と成し、悪心不義を起す度毎に、あの畜生め、頓て畜生道にゆかんずやつめ哉やつめ哉としかるべし。然る毎に角云つてかどさば俄には直らずとも、自然には殊の外治まるべし。如是せば、今時其儒者の仁義礼智抔と教ふる様な事にあるべからず、大に人直に成る事也。

書き下し

其儀と云ふは先つ寺方へ寺領寺地御免あつて、無役に召置かるゝ事あつたら事なる間、是れに役儀を申付くべし。其役と云ふは諸檀那をよく勧むべし。若し男女によらず、檀那の中より悪人出てば、其寺の過として住持を法度に行ふへしと申付くべき也。扨其勧め様と云ふは、畜生と人間との理を教ふべし。夫れ人間と云ふは、自ら忘れて他を恵み、危きを救ひ、窮れるを助け、物毎に情けを先とし、憐む心有るを仁とすと云へり。慈悲正直にして義を正すを人間と教へ、扨亦人の面をはつて我手柄とし、面かまちにて人を驚し、我に劣るを賤しめ、及ばざるをそねみ、欲心我慢を専とする者は、如何に形人間なり共、是れ畜生也と能く能く云ひ聞かせ、檀那衆必ず畜生に成りめさるゝな、畜生に成つて此僧迄迷惑に逢はせ給ふなと云ひ渡し、男は二良太郎と云ふ時分より、女は千代ねと云ふ比より、此二つの分を云ひ含め、あの畜生めがあの畜生めがと、時々にしからすべし。少々ははりつけ塲に大なる山犬の口耳の根までさけたるを造り、畜生道の本尊と成し、悪心不義を起す度毎に、あの畜生め、頓て畜生道にゆかんずやつめ哉やつめ哉としかるべし。然る毎に角云つてかどさば俄には直らずとも、自然には殊の外治まるべし。如是せば、今時其儒者の仁義礼智抔と教ふる様な事にあるべからず、大に人直に成る事也。

現代語訳

そのやり方というのは、まず寺方に寺領や寺地を免じて、役を課さずに置かれているのは惜しいことだから、これに役目を申し付けるべきである。その役目というのは、檀那たちをよく勧めることである。もし男女によらず檀那の中から悪人が出たら、その寺の過ちとして住職を処罰すると申し付けるべきである。さて、その勧め方というのは、畜生と人間との理を教えることである。そもそも人間というのは、自らを忘れて他を恵み、危うい者を救い、窮した者を助け、物ごとに情けを先とし、憐れむ心があるのを仁とすると言う。慈悲正直で義を正すのを人間と教え、さてまた、人の面を張って自分の手柄とし、面構えで人を脅し、自分に劣る者を賤しめ、及ばない者を妬み、欲心や我慢をもっぱらとする者は、どれほど形は人間であっても、これは畜生である、とよくよく言い聞かせ、檀那衆よ、決して畜生になってはならない、畜生になってこの僧まで困らせないでください、と言い渡し、男は二郎太郎と呼ばれる年ごろから、女は千代などと呼ばれる年ごろから、この二つの区別を言い含め、あの畜生めが、あの畜生めが、と時々に叱らせるべきである。少々は磔場に、大きな山犬の口が耳の根まで裂けたものを造って、畜生道の本尊とし、悪い心や不義を起こすたびに、あの畜生め、やがて畜生道に行くやつめ、やつめ、と叱るべきである。そのたびにこう言って脅せば、にわかには直らなくても、自然とことのほか治まるだろう。このようにすれば、今の儒者が仁義礼智などと教えるようなことにはならず、大いに人がまっすぐになるのである。

解説

寺に檀家の教化の責任を持たせ、人間と畜生の違いを子どものころから繰り返し教え込めば、世は治まる、という構想である。他人を助け、慈悲と正直で義を守るのが人間、人を踏み台にし、脅し、見下し、妬み、欲に走るのは姿は人でも畜生だ、と。仁義礼智という抽象的な徳目より、あの畜生め、という分かりやすい言葉のほうが人を動かす、と正三は考えた。教育の言葉を、分かりやすく身近にすることの力を示している。

この章句が説くこと

教育人間と畜生分かりやすさ寺請統治

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる