驢鞍橋 / 卷上
夜話の次て、去る人某欲を離れたりと云ふ。師聞て曰く、少し無欲に成りたりとも何の用にも立たぬ事也。我は只欲がすき也。佛に成り度き欲を持ちたる者ほしゝ、なに古人も人にてこそあらんず、我とても劣らんや。生々世々に於て是非に成佛得脫して、一切衆生を度せんと云ふ大欲かわきがほしゝと也。
新字:夜話の次て、去る人某欲を離れたりと云ふ。師聞て曰く、少し無欲に成りたりとも何の用にも立たぬ事也。我は只欲がすき也。仏に成り度き欲を持ちたる者ほしゝ、なに古人も人にてこそあらんず、我とても劣らんや。生々世々に於て是非に成仏得脱して、一切衆生を度せんと云ふ大欲かわきがほしゝと也。
書き下し
夜話の次て、去る人某欲を離れたりと云ふ。師聞て曰く、少し無欲に成りたりとも何の用にも立たぬ事也。我は只欲がすき也。仏に成り度き欲を持ちたる者ほしゝ、なに古人も人にてこそあらんず、我とても劣らんや。生々世々に於て是非に成仏得脫して、一切衆生を度せんと云ふ大欲かわきがほしゝと也。
現代語訳
夜話のついでに、ある人が、私は欲を離れました、と言った。師は聞いて言われた。少し無欲になったとしても、何の役にも立たないことだ。私はただ欲が好きである。仏になりたいという欲を持った者が欲しい。古人も人であったろう。私とて劣るものか。生まれ変わり死に変わりしても、ぜひとも成仏得脱して、一切衆生を救おうという大欲の渇きが欲しい、と。
解説
欲を離れたと言う人に、正三は、少しくらい無欲になっても役に立たない、自分は欲が好きだ、と言い放つ。ただしそれは、仏になりたい、一切衆生を救いたいという大欲である。小さな欲を捨てて満足するより、大きな志という欲に燃えよ、と。無欲を目指すことが、かえって意欲を失わせることもある。より大きな目的への渇望こそが、小さな欲を自然と押しのける力になる、という逆説的な教えである。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
大欲志無欲成仏衆生済度意欲
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