驢鞍橋 / 卷下
夜話に曰く、我始め空々坐禪を能きことに思ふて久く用ゐけるが、一日、無念無心は釋迦佛に勝るはあるべからす。然るに佛さまざま有念を使つて、一代經を說き給ふは是非を分る上にて無念の道理有るべし。あつかぼうせんとしたることにあらじと思ひ替て、果眼に用ゐて、少し元に合ふては、臆病氣退く也。各も是非を分ち、萬事を作す上に無念にて居る坐禪をし習ふべし。
新字:夜話に曰く、我始め空々坐禅を能きことに思ふて久く用ゐけるが、一日、無念無心は釈迦仏に勝るはあるべからす。然るに仏さまざま有念を使つて、一代経を説き給ふは是非を分る上にて無念の道理有るべし。あつかぼうせんとしたることにあらじと思ひ替て、果眼に用ゐて、少し元に合ふては、臆病気退く也。各も是非を分ち、万事を作す上に無念にて居る坐禅をし習ふべし。
書き下し
夜話に曰く、我始め空々坐禅を能きことに思ふて久く用ゐけるが、一日、無念無心は釈迦仏に勝るはあるべからす。然るに仏さまざま有念を使つて、一代経を説き給ふは是非を分る上にて無念の道理有るべし。あつかぼうせんとしたることにあらじと思ひ替て、果眼に用ゐて、少し元に合ふては、臆病気退く也。各も是非を分ち、万事を作す上に無念にて居る坐禅をし習ふべし。
現代語訳
夜話で言われた。私は始め、空々とした坐禅を良いことだと思って長く用いていたが、ある日思った。無念無心においては、釈迦仏にまさる人はいないはずだ。それなのに仏はさまざまに有念を使って、一代の経を説かれたのは、是非を分ける上に無念の道理があるはずだ。ぼんやりと呆けていることではあるまい、と思い直して、果たし眼で用いて、少し元にかなうようになってから、臆病の気が退いたのである。誰も、是非を分け、万事をなす上で無念でいる坐禅を習いなさい、と。
解説

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