驢鞍橋 / 卷上
一日人來て曰く、去る大名の奧方、我むさき事をなして、人にさらえさする事恐れ也と云ふて、雪隱をさらゆる者に錢をくれ給ふと云ふ。師聞て曰く、扨々有難人哉、尤もの事也。我も衆聚りたらは片廻りにさらえさすべし。後世を願ふ者はさなき事にさへ人を使ふは惡き也。是れは好き事を聞きたり。
新字:一日人来て曰く、去る大名の奥方、我むさき事をなして、人にさらえさする事恐れ也と云ふて、雪隠をさらゆる者に銭をくれ給ふと云ふ。師聞て曰く、扨々有難人哉、尤もの事也。我も衆聚りたらは片廻りにさらえさすべし。後世を願ふ者はさなき事にさへ人を使ふは悪き也。是れは好き事を聞きたり。
書き下し
一日人来て曰く、去る大名の奥方、我むさき事をなして、人にさらえさする事恐れ也と云ふて、雪隠をさらゆる者に銭をくれ給ふと云ふ。師聞て曰く、扨々有難人哉、尤もの事也。我も衆聚りたらは片廻りにさらえさすべし。後世を願ふ者はさなき事にさへ人を使ふは悪き也。是れは好き事を聞きたり。
現代語訳
ある日、人が来て言った。ある大名の奥方が、自分の汚いことを人に始末させるのは恐れ多いと言って、便所の掃除をする者に銭をお与えになるそうです。師は聞いて言われた。なんともありがたい人だ。もっともなことである。私も衆が集まったら、順番に掃除をさせよう。後世を願う者は、そうでないことにさえ人を使うのは悪いことである。これは良いことを聞いた、と。
解説
身分の高い大名の奥方が、便所掃除をする人に心づけを渡しているという話に、正三は深く感心する。自分の汚れを他人に始末させることを恐れ多いと感じる心こそ、ありがたいと。そして、自分の寺でも交代で掃除をさせようと言う。人に嫌な仕事を任せることを当然と思わず、感謝し、自らも担う。役職が上がるほど、汚れ仕事を人任せにしがちだが、その心の在り方を見直させる、身近で具体的な条である。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
感謝掃除謙虚奉仕汚れ仕事人を使う
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