驢鞍橋 / 卷下
一日、去る人來り曰く、此の頃無理に眞實を作り起さんと仕り、樣々佛法分別致しければ、胸苦く罷り成ると云ふ。師聞て曰く佛法世法一切を吐出して、只口に任せて謠を歌ひめされよ。如是して機を養はは、頓て其病は抜けんずと也。彼の人、敎の如く用ひければ、忽ち本復する也
新字:一日、去る人来り曰く、此の頃無理に真実を作り起さんと仕り、様々仏法分別致しければ、胸苦く罷り成ると云ふ。師聞て曰く仏法世法一切を吐出して、只口に任せて謡を歌ひめされよ。如是して機を養はは、頓て其病は抜けんずと也。彼の人、教の如く用ひければ、忽ち本復する也
書き下し
一日、去る人来り曰く、此の頃無理に真実を作り起さんと仕り、様々仏法分別致しければ、胸苦く罷り成ると云ふ。師聞て曰く仏法世法一切を吐出して、只口に任せて謡を歌ひめされよ。如是して機を養はは、頓て其病は抜けんずと也。彼の人、教の如く用ひければ、忽ち本復する也
現代語訳
ある日、ある人が来て言った。近ごろ、無理に真実を作り起こそうとして、さまざまに仏法を分別しましたところ、胸が苦しくなりました、と言う。師は聞いて言われた。仏法も世法も一切を吐き出して、ただ口に任せて謡を歌いなさい。このようにして気迫を養えば、やがてその病は抜けるだろう、と。その人が教えのとおりに用いたところ、たちまち本復した。
解説
無理に本気を起こそうと仏法をあれこれ考えて、胸が苦しくなった人に、正三は、仏法も世間のことも全部吐き出して、ただ口に任せて謡を歌え、と勧める。その通りにすると、たちまち治った。第百九十一条の侍の話と同じく、深刻に考え込むことで生じた心の不調を、体を使って声を出すことで解く処方である。頭で追い詰めすぎたときは、理屈を捨てて体を動かす。心の健康を保つ知恵として、今もそのまま役に立つ。
この章句が説くこと
謡考えすぎ心の不調声を出す処方吐き出す
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下夜の次曰く、我常に謡を坐禅の機に用ゐよと云ふこと、何れも実にもと思はるゝや。一僧曰く、用ゐることを得ず、分別には好く肯ふと云ふ。師曰く、何には因らぬ、なるほど機を强く、ぬんと用ゐて、娑婆の念を去り習ふ外なし。何としても心娑婆に負けて居るもの也。能く用心すべしと也。
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『驢鞍橋』卷下一日、去る侍来て曰く、某無理に真実を造り起さんと致しければ、心沈で機へる故に、此比は真実仏法を打捨て、機を調子に懸りて用ひ、謡抔謡ひ、舞抔舞ふて、少し飛走り仕りければ、不図機勇ましく成り、抜けぬ位を覚え候と云ふ。師見て曰く、扨ても能きこと哉、誠に見懸迄軽くなりめされたり、も早や捨身の位を守るべしと也。折節尾州大野船頭両人来り其坐にあり、師便ち彼等に向て曰く、其方達も此の機を受けすして叶はず。此の機だに得ば、何たる大難悪風に逢ふても、少しも動せずして自由自在に乗り得る物也。皆抜けて居るに仍て、加様の時あわてゝ、むだ死にして苦海に沈む者也。
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『驢鞍橋』卷下一日、去る大名の奥方のでせ来て、後世の用心を問ふ。師小歌を以て後世を願ふべしと云つて、これを歌はせ給ふ。彼者便ち歌ふ。師聞て曰く、その哀れなる声美しびれたるふしを本とせず、胴から声を張出して、あふなげなく歌ふべし。常に如是せば、自然に禅定機を覚ゆべし。能く熟せば歌はさる時も、其機用ゐらるべしと也。
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『驢鞍橋』卷上一日去る人来り、病者故に仏法を思ふ事成らずと云ふ。師聞て曰く、扨もよき病哉、羨敷病也。其れならば定めて世間の事も病機故に思はれまじ、是れに增したる事なし。身をも娑婆をもぐつと忘れ果てらるべし。総じて仏道と云ふは一切を思はぬ事也。
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『驢鞍橋』卷上一日人来て曰く、去る寺の住持仏法嫌ひにて、檀那共の修行するを殊の外ひがみて謗られけるが、終に病者に成られたりと云ふ。師聞て曰、其心にては病者にならては。総して娑婆を分別し居る者は、胸塞り心沈みて病発るべし。修行者もすべ悪ければ、道理に落ちて心沈み、見掛け迄も沈みて見ゆる物也。然るに勇猛心を用ゐて、道理を離れて修する者は、心浮んて見懸け迄、活きて見ゆる物也。折節志無き僧坐に居けるを見て曰、扨も違へる事哉、名利僧の面は死んて見ゆる也。双び居るを比べて見て各別也。
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『驢鞍橋』卷下我もえ受けぬ人には、謡を以て授けんずよと云つて、不図八島のきりを打上て歌ひ給ふ。その座に去る俗士有り、ひしと其機移り、心じりじりと勇しく成り、二三日か間、づんと機强く成て、一切に負けす、起居はづみて有り。師後に之を聞て曰く、慥に勇猛心移りたる也。尤も頓てさめぬべし。常住此の機に成ることは、大に功を尽さずんば有るべからずと也。