驢鞍橋 / 卷上
一日源長老曰く、何某は師の意を得たりと存す、彌方便有るへし。師曰く、よう心得めされよ、あれはくつとぽつ籠んで置く計り也。能き處は我と持て居る也。始終召しあげぬ一つ也。長老は人を損ひめされんず人哉と也。
新字:一日源長老曰く、何某は師の意を得たりと存す、弥方便有るへし。師曰く、よう心得めされよ、あれはくつとぽつ籠んで置く計り也。能き処は我と持て居る也。始終召しあげぬ一つ也。長老は人を損ひめされんず人哉と也。
書き下し
一日源長老曰く、何某は師の意を得たりと存す、弥方便有るへし。師曰く、よう心得めされよ、あれはくつとぽつ籠んで置く計り也。能き処は我と持て居る也。始終召しあげぬ一つ也。長老は人を損ひめされんず人哉と也。
現代語訳
ある日、源長老が言った。某は師の意を得たと存じます。いよいよ方便をなさってください。師は言われた。よく心得なさい。あれはぐっと押し込んでおくだけである。良いところは自分で持っている。始終取り上げないのが一つである。長老は人を損ないそうな人だな、と。
解説
ある人が師の意を得たと見て、もっと導いてやってほしいと言う長老に、正三は、あれは押し込めているだけで、良いところはまだ本人が握りしめている、と見抜く。そして、そんな見立てをする長老は人を損なう人だ、と厳しく言う。表面の理解を本物の体得と見誤り、先を急がせることが、かえって人を駄目にする。人の成長を見極める目の違いが、指導の成否を分けることを示す、短く鋭い条である。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
見極め人材育成早合点指導体得方便
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