驢鞍橋 / 卷上
一日示して曰く、東へも西へも行かんと思ひ、一足づゝ運べば、必ず行き着く物也。然るに修し行する處に於ては、尺取虫の樣にもいじる者無し。皆娑婆に心を取られ居る計り也。達磨大師は外諸緣を息め、內身喘ぐ事無く、心墻壁の如くにして以て道に入るへしと示し給へ共、今時は世緣を離れたる人さへ無しと也。
新字:一日示して曰く、東へも西へも行かんと思ひ、一足づゝ運べば、必ず行き着く物也。然るに修し行する処に於ては、尺取虫の様にもいじる者無し。皆娑婆に心を取られ居る計り也。達磨大師は外諸縁を息め、内身喘ぐ事無く、心墻壁の如くにして以て道に入るへしと示し給へ共、今時は世縁を離れたる人さへ無しと也。
書き下し
一日示して曰く、東へも西へも行かんと思ひ、一足づゝ運べば、必ず行き着く物也。然るに修し行する処に於ては、尺取虫の様にもいじる者無し。皆娑婆に心を取られ居る計り也。達磨大師は外諸縁を息め、内身喘ぐ事無く、心墻壁の如くにして以て道に入るへしと示し給へ共、今時は世縁を離れたる人さへ無しと也。
現代語訳
ある日示して言われた。東へでも西へでも行こうと思い、一足ずつ運べば、必ず行き着くものである。ところが修行するところでは、尺取虫のように少しずつでも進む者がいない。みな娑婆に心を取られているばかりである。達磨大師は、外にはあらゆる縁を止め、内には心が喘ぐことなく、心を垣根や壁のようにして道に入るべきだと示されたが、今は世の縁を離れた人さえいない、と。
解説
どこへ行くにも一歩ずつ足を運べば必ず着く。当たり前のことだが、修行では尺取虫ほども進もうとしない、と正三は嘆く。原因は、心が世間の事柄に取られていることにある。達磨の言葉を引いて、外の縁を止め、内の心を静めよと説く。大きな目標を前に一歩が踏み出せない人、日々の雑事に追われて本来の目標に一歩も近づいていない人に、一足ずつでよいから運べ、と具体的な行動を促す条である。
この章句が説くこと
一歩継続達磨雑事前進修行
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上一日曰く、今時の諸宗に仏道の大筋を教へたし。何の口伝も無き事、只志を進め真実を発し、修し行して仏祖の意を大切にする計り也。此心法は徹しても大事、徹せすしても大事也。兎角修しさへすれは心磨けて行く程に、悟らずして悟る也。今時も悟らすして悟つて居る人はあるべし。扨も笑止千万の事は、法の筋違つて居る故に、悟つて迷ふ人世に多しと也。
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『驢鞍橋』卷上一日去る若き僧の志有りて、望を休したるに向て曰く、まだいかなる大難にも逢はんずか、幾年を送らん事大儀也。乍去望を離れよくは仕為し来れり、なにとぞ次第に募らせたし、まだ末しれぬ事也。心元なし。旨少し違ひて志失せれば、娑婆に責められ、忽ち苦を受くる物也。兎角後世願ひの中を離れざるが好き也。亦やゝ有りて自ら身を叩へて曰、扨も何の用にも立たぬ物哉物哉と也。
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『驢鞍橋』卷上一日近比の遁世者に示して曰く、如何様なる者も頭をすれば、早打上つて人に貴はれ、殊勝に成り、売僧に成り、徳有る御坊主の振をする也。今時の道心者皆此つれ計り也。其方も我法によらんと思はゞ、一向の土に成り、謙つて向上に眼を著けす、足元より修すべし。なまけた振をし、さも無き事を鼻に上げてありかんと思はゞ、出入無用也。
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『驢鞍橋』卷下一日、去る人に示して曰く、修行の心合と云ふではないが、平生の機の用ひ様を教へんと云つて示して曰く、何事を作さんと思ふとも、思ひ立つとその儘分別なしに作したるが好き也。後に抔と思ふも悪し。又余所へ行かしと思ふにも如是すべし。機の発すると其儘ふと出て行くべし。後にと思ふべからず。縦ひ雨降り雪降るとも、面白い雪哉、童の時分は、雪遊びせしものをと思ひ出つべし。万事如是無分別に仕習へば、殊外心の軽く成る物也。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、初心行者はいかにもして真実起る様にすべし。真実起らざる先きに無理行抔し、强く坐禅抔すべからす。無理に根機を出し荒行抔すれは、性疲れ機へりて、何の用にも立たす、只在て果す也。何れも覚え有るへし気相悪き時は、常よりも心悪く成る物也。修行と云ふは機を養ひ立つる事也、故に古人も長養といへり。必ず機をへらすへからす。今時無理行をなし、亦ぬけから坐禅をなして、機へりて病者と成り、気違と成る者数を知らす。只志を進め真実を起すへしと也。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、今時の人仏法は悟らねば用に立たぬと思ふ也。其儀に非す。仏法と云ふは、只今の我心をよう用ひて、今用に立つる事なり。成程心を强う用ゆるを修行とす、心の强うなるほど次第に使はるる也。大に勤むれば大に徳有り、少し勤むれば少しの徳有り、譬へば万石取には及はねども、千石取らば百石取には勝るが如し。分々に徳を得る事也。扨亦悟入すれば、仏境界なりと思へり。そでも無き事也。縦ひ見解有るとも自由に使はるべからず。仏境界と云ふは各別の事也。只悟を求めずとも、修し行じて徳に至るべしと也。