驢鞍橋 / 卷上
夜話の次て、去る人曰く、此頃秩父に二僧の化者有り、處の者共阿難迦葉と貴ふ也。師聞て曰、是れ貴き人也。化にも貴き化は人信を起す程に好き事也。狂人のまねとて走れば便ち狂人といへり。亦彼人、心學能澤を謗す。師曰、未た四十に足らすして、一國の師と成る事大なる德を持ち來る人也。定めて好き處有るべしと也。
新字:夜話の次て、去る人曰く、此頃秩父に二僧の化者有り、処の者共阿難迦葉と貴ふ也。師聞て曰、是れ貴き人也。化にも貴き化は人信を起す程に好き事也。狂人のまねとて走れば便ち狂人といへり。亦彼人、心学能沢を謗す。師曰、未た四十に足らすして、一国の師と成る事大なる徳を持ち来る人也。定めて好き処有るべしと也。
書き下し
夜話の次て、去る人曰く、此頃秩父に二僧の化者有り、処の者共阿難迦葉と貴ふ也。師聞て曰、是れ貴き人也。化にも貴き化は人信を起す程に好き事也。狂人のまねとて走れば便ち狂人といへり。亦彼人、心学能沢を謗す。師曰、未た四十に足らすして、一国の師と成る事大なる徳を持ち来る人也。定めて好き処有るべしと也。
現代語訳
夜話のついでに、ある人が言った。近ごろ秩父に二人の変わった僧がいて、土地の者たちは阿難や迦葉のように尊んでいます。師は聞いて言われた。これは尊い人だ。変わり者でも、尊い変わり者は人の信心を起こすのだから良いことである。狂人のまねをして走れば、すなわち狂人だ、と言われている。また、その人が心学の熊沢(蕃山)を謗った。師は言われた。まだ四十にもならないのに、一国の師となっているのは、大きな徳を持って生まれてきた人である。きっと良いところがあるのだろう、と。
解説
世間で変わり者と見られる僧を、正三は、人の信心を起こすなら尊いと認める。狂人のまねをすれば狂人だ、という言葉を引いて、形を真似ること自体にも意味があると示す。そして、若くして岡山藩の師となった熊沢蕃山を謗る人に、それだけの徳を持つ人だ、良いところがあるはずだと返す。人の評判を聞いたとき、欠点を探すより長所を見ようとする正三の懐の深さが、何気ない会話に表れている。
この章句が説くこと
寛容評価熊沢蕃山変わり者長所懐の深さ
関連する章句
-
説苑・善說齊景公子貢に謂いて曰く、「子誰をか師とする。」曰く、「臣仲尼を師とす。」公曰く、「仲尼賢なるか。」對えて曰く、「賢なり。」公曰く、「其の賢たること何如。」對えて曰く、「知らざるなり。」公曰く、「子其の賢を知りて其の奚若たるを知らざるは、可ならんか。」對えて曰く、「今天高しと謂うに、少長愚智と無く皆高きを知る。高きこと幾何ぞや。皆知らずと曰う。是を以て仲尼の賢を知りて其の奚若たるを知らざるなり。」
-
論語・子張篇子游曰く、吾が友張や、能くし難きことを為すなり。然れども未だ仁ならず。
-
論語・憲問篇子曰く、『驥は其の力を称せず、その徳を称すなり。』
-
史記 管晏列伝鮑叔既に管仲を進め、身を以て之に下る。子孫世々斉に禄せられ、封邑を有つこと十余世、常に名大夫為り。天下、管仲の賢を多とせずして、鮑叔の能く人を知るを多とす。
-
論語・憲問篇子曰く、人の己を知らざるを患えず、其の能わざるを患う。
-
論語・子張篇陳子禽、子貢に謂いて曰く、「子は恭を為すなり。仲尼豈に子より賢らんや。」子貢曰く、「君子は一言以て知と為し、一言以て不知と為す。言は慎まざる可からざるなり。夫子の及ぶ可からざるや、猶お天の階して升る可からざるがごときなり。夫子の邦家を得たらば、所謂『之を立つれば斯に立ち、之を道けば斯に行き、之を綏んずれば斯に来たり、之を動かせば斯に和す。其の生くるや栄え、其の死するや哀しむ』。之を如何ぞ其れ及ぶ可けんや。」