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驢鞍橋 / 卷下

我四十餘の時、頻りに世間いやになりける間、御穿鑿有らは、無理に世間いやに候間、如是罷成、曲事と思召さば、御成敗あれと罷出て、腹切らんと思定め、不圖剃りたり。番頭や御老中に、九太夫こと機違に罷成りたりと御申上賴み奉ると云ひければ、いたはしや、御老中の扨て扨ていなことめされたり、人のことを能くこそ取成物なれ、機の違はぬ人を氣違とは取成されてこそと仰せありしが、時を見、御機嫌を窺ひ、夜咄の次に鈴木九太夫不圖道心を起し候と申し上けられければ、台德院樣は如何思召されたるか、元より御慈悲にて夫は道心と云ふてば無い、隱居じや迄よと仰せ出されたり。彼の老中悅ひ我を喚ひ何と有らんかと思ひ、加樣なる氣遣したることなし。然るに如是の忝き御意有らんや。急き繼目を申させよと有るに依て、俄に今の九太夫を御禮申させたり。總而切端なくて用に立つへからず、我も初めは如是してすりけるか、今は切行て、修行には結句奉公よしと思ふ也。

新字:我四十余の時、頻りに世間いやになりける間、御穿鑿有らは、無理に世間いやに候間、如是罷成、曲事と思召さば、御成敗あれと罷出て、腹切らんと思定め、不図剃りたり。番頭や御老中に、九太夫こと機違に罷成りたりと御申上頼み奉ると云ひければ、いたはしや、御老中の扨て扨ていなことめされたり、人のことを能くこそ取成物なれ、機の違はぬ人を気違とは取成されてこそと仰せありしが、時を見、御機嫌を窺ひ、夜咄の次に鈴木九太夫不図道心を起し候と申し上けられければ、台徳院様は如何思召されたるか、元より御慈悲にて夫は道心と云ふてば無い、隠居じや迄よと仰せ出されたり。彼の老中悅ひ我を喚ひ何と有らんかと思ひ、加様なる気遣したることなし。然るに如是の忝き御意有らんや。急き継目を申させよと有るに依て、俄に今の九太夫を御礼申させたり。総而切端なくて用に立つへからず、我も初めは如是してすりけるか、今は切行て、修行には結句奉公よしと思ふ也。

書き下し

我四十余の時、頻りに世間いやになりける間、御穿鑿有らは、無理に世間いやに候間、如是罷成、曲事と思召さば、御成敗あれと罷出て、腹切らんと思定め、不図剃りたり。番頭や御老中に、九太夫こと機違に罷成りたりと御申上頼み奉ると云ひければ、いたはしや、御老中の扨て扨ていなことめされたり、人のことを能くこそ取成物なれ、機の違はぬ人を気違とは取成されてこそと仰せありしが、時を見、御機嫌を窺ひ、夜咄の次に鈴木九太夫不図道心を起し候と申し上けられければ、台徳院様は如何思召されたるか、元より御慈悲にて夫は道心と云ふてば無い、隠居じや迄よと仰せ出されたり。彼の老中悅ひ我を喚ひ何と有らんかと思ひ、加様なる気遣したることなし。然るに如是の忝き御意有らんや。急き継目を申させよと有るに依て、俄に今の九太夫を御礼申させたり。総而切端なくて用に立つへからず、我も初めは如是してすりけるか、今は切行て、修行には結句奉公よしと思ふ也。

現代語訳

私は四十余りのとき、しきりに世間が嫌になったので、詮議があれば、どうしても世間が嫌になりましたのでこうなりました、不届きと思し召すならご成敗ください、と罷り出て腹を切ろうと思い定めて、ふと剃ったのである。番頭やご老中に、九太夫は気が違ったと申し上げてください、と頼んだところ、お気の毒に、ご老中はなんとも妙なことをなさった、人のことをよくもこう取りなすものだ、気の違っていない人を気違いと取りなされるとは、と仰せられたが、時を見て、ご機嫌をうかがい、夜話のついでに、鈴木九太夫がふと道心を起こしました、と申し上げられたところ、台徳院様(秀忠)はどう思し召されたのか、もとよりのお慈悲で、それは道心というものではない、隠居じゃまでよ、と仰せ出された。そのご老中は喜んで私を呼び、どうなることかと思い、このような気遣いをしたことはない。ところが、このようなかたじけないお言葉があったのだ。急いで跡継ぎを申し出させよ、とあったので、にわかに今の九太夫にお礼を申させた。おおよそ決断の刃がなくては役に立たない。私も初めはこのようにして剃ったが、今は切れて、修行にはかえって奉公がよいと思うのである。

解説

正三自身の出家の経緯が語られる。四十二歳のとき、処罰されたら腹を切る覚悟で、無断で髪を剃った。老中が機を見て将軍秀忠に伝えると、秀忠は、それは道心ではない、隠居だと言って許し、家は跡継ぎに継がせることができた。決断の刃がなければ何事もなせない、と言いつつ、今では修行には奉公のほうがよいと思う、と結ぶ。自ら出家した人が、その経験を踏まえて若者の出家を止める、説得力のある一段である。

この章句が説くこと

出家の経緯決断切端徳川秀忠覚悟奉公

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