驢鞍橋 / 卷上
一日去る長老來云、某此比坐禪の時、只今死す死すと云ふ氣少しの間起る也。是れは氣のへりたる儀なるへしや。師聞て曰く、夫れは內より我に授くる也、第一能事也。此機起らさる者は、外より授くる事也。
新字:一日去る長老来云、某此比坐禅の時、只今死す死すと云ふ気少しの間起る也。是れは気のへりたる儀なるへしや。師聞て曰く、夫れは内より我に授くる也、第一能事也。此機起らさる者は、外より授くる事也。
書き下し
一日去る長老来云、某此比坐禅の時、只今死す死すと云ふ気少しの間起る也。是れは気のへりたる儀なるへしや。師聞て曰く、夫れは内より我に授くる也、第一能事也。此機起らさる者は、外より授くる事也。
現代語訳
ある日、ある長老が来て言った。私は近ごろ坐禅のとき、ただ今死ぬ、死ぬという気持ちが少しの間起こります。これは気が減ったためでしょうか。師は聞いて言われた。それは内から自分に授けられているのである。第一の良いことである。この気迫が起こらない者は、外から授けることになる、と。
解説
坐禅中に死の切迫感が起こるのを、気が弱ったのではないかと心配する長老に、正三はそれこそ最良のことだと答える。自分の内側から自然に湧いてくる死の自覚は、誰かに教えられたものより強い。起こらない者には、師が外から死の思いを突きつけるしかない。自分の内から湧く危機感と、外から与えられる危機感の違いを示している。組織でも、上から言われて持つ危機感より、自ら感じ取った危機感のほうが人を動かす。
この章句が説くこと
死機危機感坐禅内発自覚長老
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