驢鞍橋 / 卷下
後世を願ふと云ふは、修し行して心老しく成り、物に碍らぬ樣に用ゆること也。何としても初心にて心老しく成かたき物也。此の用には盲安杖が好き也。あれを見て、我には此の病有り、此の段を守て德に至るべしと見るべき也。然れども盲安杖さへ左樣に見る人なし。如是見ずんば、何返見ても益有るべからすと也。
新字:後世を願ふと云ふは、修し行して心老しく成り、物に碍らぬ様に用ゆること也。何としても初心にて心老しく成かたき物也。此の用には盲安杖が好き也。あれを見て、我には此の病有り、此の段を守て徳に至るべしと見るべき也。然れども盲安杖さへ左様に見る人なし。如是見ずんば、何返見ても益有るべからすと也。
書き下し
後世を願ふと云ふは、修し行して心老しく成り、物に碍らぬ様に用ゆること也。何としても初心にて心老しく成かたき物也。此の用には盲安杖が好き也。あれを見て、我には此の病有り、此の段を守て徳に至るべしと見るべき也。然れども盲安杖さへ左様に見る人なし。如是見ずんば、何返見ても益有るべからすと也。
現代語訳
後世を願うというのは、修行して心がおとなしくなり、物に障らないように用いることである。どうしても初心のうちは、心がおとなしくなりにくいものだ。このためには『盲安杖』がよい。あれを見て、自分にはこの病がある、この段を守って徳に至ろう、と見るべきである。けれども『盲安杖』でさえ、そのように見る人がいない。このように見なければ、何遍見ても益はないだろう、と。
解説
心がおとなしくなり、物事に引っかからなくなることが後世を願うことだ、と正三は言い、そのために自著『盲安杖』を勧める。ただし、読むときは、自分にはこの病がある、この段を守って改めよう、と自分に当てはめて読め、と。そう読まなければ何度読んでも益はない、と。第百二十一条の読書論と響き合う。自己啓発の本を他人事として読むのではなく、自分の病を診断する鏡として読む姿勢を求めている。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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