驢鞍橋 / 卷下
その下炬を聞けば、不生不滅不去不來無我無人無住所本來空虛空同体抔と云ふ、是れどてのことと思ふて云はるゝや。不相應の下炬也。なせ然らは供を好みたる人の下炬を、如何にも善住所に大名と生れ富貴萬福萬歳樂と造らざるや。扨て扨てすぢなきこと哉是程の理さへ知らさる土坊主計にて、世界は無明の闇となること口惜しき次第也。是非とも此の道理、御公義へ申上度思へども未た天道に許されず、御坊主達一絡索必す覺え置るべしと也。
新字:その下炬を聞けば、不生不滅不去不来無我無人無住所本来空虚空同体抔と云ふ、是れどてのことと思ふて云はるゝや。不相応の下炬也。なせ然らは供を好みたる人の下炬を、如何にも善住所に大名と生れ富貴万福万歳楽と造らざるや。扨て扨てすぢなきこと哉是程の理さへ知らさる土坊主計にて、世界は無明の闇となること口惜しき次第也。是非とも此の道理、御公義へ申上度思へども未た天道に許されず、御坊主達一絡索必す覚え置るべしと也。
書き下し
その下炬を聞けば、不生不滅不去不来無我無人無住所本来空虚空同体抔と云ふ、是れどてのことと思ふて云はるゝや。不相応の下炬也。なせ然らは供を好みたる人の下炬を、如何にも善住所に大名と生れ富貴万福万歳楽と造らざるや。扨て扨てすぢなきこと哉是程の理さへ知らさる土坊主計にて、世界は無明の闇となること口惜しき次第也。是非とも此の道理、御公義へ申上度思へども未た天道に許されず、御坊主達一絡索必す覚え置るべしと也。
現代語訳
その下炬(引導の法語)を聞けば、不生不滅、不去不来、無我無人、無住所、本来空、虚空同体などと言う。これはどういうことだと思って言っておられるのか。不相応な下炬である。なぜ、それならば、殉死を好んだ人の下炬を、いかにも良い住処に大名と生まれ、富貴万福万歳楽、と作らないのか。さてさて筋の通らないことだな。これほどの理さえ知らない土坊主ばかりで、世界は無明の闇となることが口惜しい次第である。ぜひともこの道理を御公儀へ申し上げたいと思うけれども、まだ天道に許されない。御坊主たちよ、この一件は必ず覚えておきなさい、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『韓非子』解老第二十禮繁き者は實心衰うるなり。...夫れ禮は、忠信の薄きにして、亂の首か。
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牧民忠告・宣化農の勤惰(きんだ)は、一歲の苦樂繋(か)かる所なれば、其の當に為すべき所、勸むるを待たざる者有り。時に因りて行治し、其の工を輟(や)め業を廢する者を視て之を切責すれば、遠近之を聞きて、必ず自ら勵(はげ)むを知らん。常に世の農を勸むる者を見るに、期に先んじて以て告げ、酒食を鳩(あつ)め、郊原に候し、將迎奔走して、絡繹(らくえき)寧(やす)きこと無く、蓋(けだ)し數日騷然たるなり。至れば則ち胥吏(しょり)・童卒雜然として威を生じ、賂遺(ろい)徵取(ちょうしゅ)、下(くだ)りて雞豚(けいとん)に及ぶ。名づけて之を勸むと為すも、其の實は之を擾(みだ)し、名づけて之を優(ゆう)すと為すも、其の實は之を勞す。嗟夫(ああ)、勸農の道他無し、其の時を奪わざるのみ。繁文末節、當に之を略すべし。
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「非禮の禮、非義の義は、大人為さず。」
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『驢鞍橋』卷下午の八月十五日、夜話に曰く、今時の出家すべを知らさる故に、追腹を切らすること非義の至なり。笑止千万なること、是れに過きたることなし。三国ともに聖人の御代になきことなれども、当代の出家すべをしらざる故に、此の非義始まる也。然る間、追腹を切らせたる坊主共を木像に造り、その寺寺の門前にはりつけに懸けて、末代迄の掟にし度思ふ也。俗方の少しも存しなきこと、只出家の咎也。少し理の有る出家ならば云ふ筈也若し引導を頼み来るとも、追腹有らば罷成らぬ、その故は、引導と申すは、輪廻を免るゝ様に弔ふこと也。然るに左様の輪廻好きの人弔ふこと、ふつとならぬと云な切る筈也。然れとも是程のことさへえ云ふ人なし。我に云はれて、尤もと受けたる僧達も有れども、是れも変なし。我胸から出ねは自由に云はれぬと見えたり。生死を離るやうに弔ふと云ふことをも知らず、輪廻の業と云ふことをも知らず、扨ても浅ましき土入道計哉。
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『驢鞍橋』卷下何某殿語て曰く、先年吾女共死せし時、朦気して途方に暮れたり。時に正三広間の口に出て、その腐物早く持去て打捨てよと、高声に下知して寺に遣し給ふ。この声を聞くと、ふと心開けて胸安くなりたり。爰を以て思ふに、よき人の引導を受けば、必ず助るへき道理也。然るに今時引導坊主抔を択はざるは、非義なこと哉と也。
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『驢鞍橋』卷上又云、扨もたわけた事哉。喰はねば飢るし、着ねば寒し、洗はねばむさし、夏は熱し、扨痛し痒し、何の用にも無き物を楽む事哉。如是秘蔵して何の為めぞと思へば、日夜悪業計りを作して、永刧の苦因となす。極めて愚なる事に非ずや。只能く此道理を信得して、此からだに離るべき也。嗚呼是非に及ばぬは、今時の出家此道理を忘れ、仏法を外に心得、悟を求め、見解を求め、経文語録に着し、剰へ名聞利養に住す。法の筋の差ふたる事天地遥也。当寺の衆も爰に於て大に驚き、飛んて出づる程思はれずんば、何の詮も有るべからずと也。