驢鞍橋 / 卷上
去る曉衆中に向て曰く、何と御坊主達、次第に眞實に成るや、少しも起る心有りや。亦曰、其方達も泣長老と成り、大寺の住持と成るへからず。只一盃庵に心安く居たるが、修行の爲めには增しなるへし。其れでも後には富貴に成る者なり。能く用心すへき也。亦一僧、師の胸をさするに向て曰、我胸不斷指張りて居る也。殊に曉は一入切也。是れを少し其方達に遣りたしと也。
新字:去る暁衆中に向て曰く、何と御坊主達、次第に真実に成るや、少しも起る心有りや。亦曰、其方達も泣長老と成り、大寺の住持と成るへからず。只一盃庵に心安く居たるが、修行の為めには增しなるへし。其れでも後には富貴に成る者なり。能く用心すへき也。亦一僧、師の胸をさするに向て曰、我胸不断指張りて居る也。殊に暁は一入切也。是れを少し其方達に遣りたしと也。
書き下し
去る暁衆中に向て曰く、何と御坊主達、次第に真実に成るや、少しも起る心有りや。亦曰、其方達も泣長老と成り、大寺の住持と成るへからず。只一盃庵に心安く居たるが、修行の為めには增しなるへし。其れでも後には富貴に成る者なり。能く用心すへき也。亦一僧、師の胸をさするに向て曰、我胸不断指張りて居る也。殊に暁は一入切也。是れを少し其方達に遣りたしと也。
現代語訳
ある明け方、衆に向かって言われた。どうですか、御坊主たち、次第に真実の心になっていますか。少しでも起こる心がありますか。また言われた。あなたたちも、泣きながら長老になり、大寺の住職になってはならない。ただ一杯の庵に心安くいるのが、修行のためにはましだろう。それでも後には富貴になる者である。よく用心しなさい。また、一人の僧が師の胸をさすっていると、その僧に向かって言われた。私の胸はいつも張りつめている。とりわけ明け方はひときわ切実である。これを少しあなたたちにやりたいものだ、と。
解説
弟子たちに、苦労して大寺の住職になるより、小さな庵で心安く修行するほうがよいと説く。それでも後には豊かになってしまうものだから用心せよ、と。出世を求めなくても、真面目に続ければ評価や富が後からついてくる。それがまた新たな誘惑になる、という見通しが鋭い。最後に、胸をさする弟子に、この張りつめた心を少し分けてやりたいと言う姿に、弟子への深い思いがにじむ。
この章句が説くこと
出世庵富貴用心弟子切実
関連する章句
-
『驢鞍橋』卷下未の二月日、四屋にて正庵大病を受くるを、師見舞有て、便ち牛込へ遷り、諸僧に語て曰く、扨て扨て大事の者哉。我能く是れを知る。其方達も腹立たる機のやうにして諸念の面を出さぬほどの位有りや。左無き人には、何ともせんずやうなしと也。
-
歎異抄・第六条専修念仏の輩の、「わが弟子、ひとの弟子」という相論の候らんこと、もってのほかの子細なり。 親鸞は弟子一人ももたず候。 そのゆえは、わが計らいにて人に念仏を申させ候わばこそ、弟子にても候わめ、ひとえに弥陀の御もよおしにあずかりて念仏申し候人を、「わが弟子」と申すこと、極めたる荒涼のことなり。
-
論語・学而篇子曰く、「弟子、入りては則ち孝、出でては則ち弟、謹みて信、汎く衆を愛して仁に親しみ、行いて余力有らば、則ち以て文を学ぶ。」
-
『驢鞍橋』卷下去る時、僧俗の修行者思の外心得悪しと発憤有る折節、去る僧来る。師見て曰く、出入の人人大方にも心得たるかと云ひければ、一人もなし。殊に坊主の生けた振見度なし。あらいやの御坊主達や。早々帰りめされよと云つて、急に逐ひ帰し給ふ也。
-
『驢鞍橋』卷上其夜半に左右の者に向て曰、此寺の宗元は如何程志付きたるや心元なし。かいもく無道心の者はせんず様なし。少しなりとも志有る者には、無理にも仏法すり付けたく思ふ也。中々胸の中に入つてなりとも起させたく思ふ也。
-
『夜船閑話』序此において諸子旧書櫃を開けば、草稿、蠹魚の腹中に葬らるゝ者中葉に過たり。諸子即ち訂正伝写して、既に五十来紙を見る。即ち封裹して以て京師に寄せんとす。予が馬歯一日も諸子に長たるを以て其端由を書せんことを責む。予も亦辞せずして書す。