驢鞍橋 / 卷下
一日、去る侍來て曰く、某無理に眞實を造り起さんと致しければ、心沈で機へる故に、此比は眞實佛法を打捨て、機を調子に懸りて用ひ、謠抔謠ひ、舞抔舞ふて、少し飛走り仕りければ、不圖機勇ましく成り、抜けぬ位を覺え候と云ふ。師見て曰く、扨ても能きこと哉、誠に見懸迄輕くなりめされたり、も早や捨身の位を守るべしと也。折節尾州大野船頭兩人來り其坐にあり、師便ち彼等に向て曰く、其方達も此の機を受けすして叶はず。此の機だに得ば、何たる大難惡風に逢ふても、少しも動せずして自由自在に乘り得る物也。皆抜けて居るに仍て、加樣の時あわてゝ、むだ死にして苦海に沈む者也。
新字:一日、去る侍来て曰く、某無理に真実を造り起さんと致しければ、心沈で機へる故に、此比は真実仏法を打捨て、機を調子に懸りて用ひ、謡抔謡ひ、舞抔舞ふて、少し飛走り仕りければ、不図機勇ましく成り、抜けぬ位を覚え候と云ふ。師見て曰く、扨ても能きこと哉、誠に見懸迄軽くなりめされたり、も早や捨身の位を守るべしと也。折節尾州大野船頭両人来り其坐にあり、師便ち彼等に向て曰く、其方達も此の機を受けすして叶はず。此の機だに得ば、何たる大難悪風に逢ふても、少しも動せずして自由自在に乗り得る物也。皆抜けて居るに仍て、加様の時あわてゝ、むだ死にして苦海に沈む者也。
書き下し
一日、去る侍来て曰く、某無理に真実を造り起さんと致しければ、心沈で機へる故に、此比は真実仏法を打捨て、機を調子に懸りて用ひ、謡抔謡ひ、舞抔舞ふて、少し飛走り仕りければ、不図機勇ましく成り、抜けぬ位を覚え候と云ふ。師見て曰く、扨ても能きこと哉、誠に見懸迄軽くなりめされたり、も早や捨身の位を守るべしと也。折節尾州大野船頭両人来り其坐にあり、師便ち彼等に向て曰く、其方達も此の機を受けすして叶はず。此の機だに得ば、何たる大難悪風に逢ふても、少しも動せずして自由自在に乗り得る物也。皆抜けて居るに仍て、加様の時あわてゝ、むだ死にして苦海に沈む者也。
現代語訳
ある日、ある侍が来て言った。私は無理に真実を造り起こそうとしたので、心が沈んで気迫が減りましたので、近ごろは真実も仏法も打ち捨てて、気迫を調子にのせて用い、謡などを謡い、舞などを舞って、少し飛び走ったりしましたところ、ふと気迫が勇ましくなり、抜けない位を覚えました。師は見て言われた。なんとも良いことだ。本当に見かけまで軽くなられた。もう捨身の位を守りなさい、と。ちょうど尾張の大野の船頭が二人来て、その座にいた。師はすぐに彼らに向かって言われた。あなたたちも、この気迫を受けなくてはかなわない。この気迫さえ得れば、どんな大難や悪風に遭っても、少しも動揺せず、自由自在に乗りこなせるものだ。みな抜けているから、このようなときにあわてて、むだ死にして苦海に沈むのである、と。
解説
この章句が説くこと
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説苑・君道高宗なる者は武丁なり、高くして之を宗とす、故に高宗と号す。成湯の後、先王の道欠け、刑法違犯せられ、桑穀倶に朝に生じ、七日にして大いに拱す。武丁其の相を召して之を問う。其の相曰く、「吾之を知ると雖も、吾言うを得ざるなり。之を祖己に聞く、桑穀なる者は野草なり、而して朝に生ず、意うに国亡びんとするか」と。武丁恐駭し、身を飭め行いを修め、先王の政を思い、滅国を興し絶世を継ぎ、逸民を挙げ、養老を明らかにす。三年の後、蛮夷重訳して朝する者七国、此を之れ存亡継絶の主と謂う、是を以て高くして之を尊ぶなり。
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説苑・奉使秦楚兵を轂う。秦王人をして楚に使いせしむ。楚王人をして之を戲れしめて曰く、「子來るに亦た之を卜せしか。」對えて曰く、「然り。」「卜して何をか謂うや。」對えて曰く、「吉なり。」楚人曰く、「噫、甚だしいかな、子の國良龜無きなり。王將に子を殺して以て鐘に釁らんとす、其の吉なること如何。」使者曰く、「秦楚兵を轂う、吾が王我をして先んじて窺わしむ。我死して還らずんば、則ち吾が王警戒を知り、兵を整齊して以て楚に備う。是れ吾が所謂吉なり。且つ死者にして知無くんば、又た何ぞ鐘に釁らん。死者にして知有らば、吾豈に秦を錯きて楚を相みんや。我將に楚の鐘鼓をして聲無からしめんとす。鐘鼓聲無くんば則ち將に其の士卒を整齊して君の軍を理むる無からんとす。夫れ人の使いを殺し、人の謀を絕つは、古の通議に非ざるなり。子大夫試みに熟ら之を計れ。」使者以て楚王に報ず。楚王之を赦す。此れを之れ「造命」と謂う。
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説苑・君道宋大水す。魯人之を弔いて曰く、「天淫雨を降らし、谿谷満盈し、延いて君の地に及び、以て執政を憂えしむ、臣をして敬んで弔わしむ」と。宋人之に応えて曰く、「寡人不佞にして、斎戒謹まず、邑封修まらず、人を使うこと時ならず、天殃を加え、又君の憂いを遺す、命を拝するの辱を」と。君子之を聞きて曰く、「宋国其れ庶幾からんか」と。問いて曰く、「何の謂いぞや」と。曰く、「昔夏の桀殷の紂は其の過ちを任ぜず、其の亡ぶるや忽焉たり。成湯文武は其の過ちを任ずることを知り、其の興るや勃焉たり。夫れ過ちて之を改むるは、是れ猶お過たざるがごとし。故に曰く其れ庶幾からんかと」と。宋人之を聞き、夙に興き夜に寐ね、早に朝し晏に退き、死を弔い疾を問い、力を宇内に戮す。三年にして、歳豊かに政平らかなり。嚮に宋人をして君子の語を聞かざらしめば、則ち年穀未だ豊かならずして国未だ寧からず。詩に曰く、「時の仔肩を佛け、我に顕徳の行いを示す」と、此を之れ謂うなり。
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牧民忠告・救荒民或いは火を失えば、則ち鼓を伐(う)ちて衆を集め、親(みずか)ら蒞(のぞ)みて以て之を救う。惻隠(そくいん)の心は、人の共に有する所なり。誠に能く鼓舞して以て其の気を作(おこ)さば、仇人(きゅうじん)と雖も亦将に焦頭爛額(しょうとうらんがく)して相患難に趨(おもむ)かんとす。
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『韓非子』存韓第二夫れ韓は小國なり、而して以て天下の四撃に應ず。主辱められ臣苦しみ、上下相い與に憂いを同じうすること久し。
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牧民忠告・救荒故事(こじ):蝗(いなご)境内に生ずれば、必ず馳(は)せて上に聞(もう)す、少しく頃刻(けいこく)を淹(とど)むれば、坐する所軽からず。然れども民に長たる者は亦須(すべか)らく其の小大多寡を相(み)て、害を為すの軽重を為すべし。若し遽然(きょぜん)として以て聞せば、其の上に蒞(のぞ)む者群集族赴(ぞくふ)し、供張征索(きょうちょうせいさく)し、一境騒然として、其の害反って蝗より甚だしき者あり。其れ或いは勢い微にして種稚なれば、則ち当に亟(すみ)やかに衆力を率いて以て之を図るべし、必ずしも細虞(さいぐ)に因りて大難を民に来(きた)すべからざるなり。故に凡そ官に居るは、必ず先ず負荷(ふか)に敢えてして、而る後に以て為す有る可し。