驢鞍橋 / 卷上
師壬辰八月日、武州鳩谷寳勝禪寺に至る。時に近里の百姓等數十人來り法要を問ふ。師示して曰く、農業便ち佛行也、別に用心を求むべからす。各も躰は是れ佛躰、心は是れ佛心、業は是れ佛業也。然れども心向けの一つ惡敷故に善根を造りながら還て地獄に入らるゝ也。或は憎い愛い慳い貪い抔と樣々私に惡心を作出し、今生は日夜苦み、未來は永劫惡道に墮するは、口惜事に非すや。然る間農業を以て業障を盡すべしと大願力を起し、一鍬々々に南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛と耕作せは、必ず佛果に至るべし。
新字:師壬辰八月日、武州鳩谷宝勝禅寺に至る。時に近里の百姓等数十人来り法要を問ふ。師示して曰く、農業便ち仏行也、別に用心を求むべからす。各も体は是れ仏体、心は是れ仏心、業は是れ仏業也。然れども心向けの一つ悪敷故に善根を造りながら還て地獄に入らるゝ也。或は憎い愛い慳い貪い抔と様々私に悪心を作出し、今生は日夜苦み、未来は永劫悪道に堕するは、口惜事に非すや。然る間農業を以て業障を尽すべしと大願力を起し、一鍬々々に南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と耕作せは、必ず仏果に至るべし。
書き下し
師壬辰八月日、武州鳩谷宝勝禅寺に至る。時に近里の百姓等数十人来り法要を問ふ。師示して曰く、農業便ち仏行也、別に用心を求むべからす。各も体は是れ仏体、心は是れ仏心、業は是れ仏業也。然れども心向けの一つ悪敷故に善根を造りながら還て地獄に入らるゝ也。或は憎い愛い慳い貪い抔と様々私に悪心を作出し、今生は日夜苦み、未来は永劫悪道に堕するは、口惜事に非すや。然る間農業を以て業障を尽すべしと大願力を起し、一鍬々々に南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と耕作せは、必ず仏果に至るべし。
現代語訳
師は壬辰の年(一六五二)八月、武蔵の鳩ヶ谷の宝勝禅寺に行かれた。そのとき近くの村の百姓たち数十人が来て、法の要を尋ねた。師は示して言われた。農業がそのまま仏道の行である。別に心得を求めてはならない。皆さんも、体はこれ仏の体、心はこれ仏の心、仕事はこれ仏の仕事である。けれども心の向け方一つが悪いために、善根を造りながら、かえって地獄に入ってしまうのである。あるいは憎い、可愛い、惜しい、欲しいなどと、さまざまに私の悪い心を作り出して、今生は日夜苦しみ、未来は永劫悪道に堕ちるのは、口惜しいことではないか。だから、農業によって業障を尽くそうと大いなる願いの力を起こし、一鍬一鍬に、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と唱えて耕作すれば、必ず仏の果報に至るだろう。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
万民徳用・農人日用・答前半答て云はく、農業則ち仏行なり。意得悪しき時は、賤しき業也。信心堅固なる時は、菩薩の行なり。隙を得て後生願はんと思ふは誤なり。かならず成仏をとげんと思ふ人は、身心を責めて、楽欲する心ありて後生願ふ人は、万劫を経るとも成仏すべからず。極寒極熱の辛苦の業をなし、鋤鍬鎌を用ゐ得て、煩悩の叢茂き此の身心を敵となし、すきかへしかり取り、心を着けてひた責めに責めて耕作すべし。身に隙を得る時は、煩悩の叢增長す。辛苦の業をなして、身心を責むる時は、此の心に煩なし。如此四時ともに仏行をなす、農人何とて別の仏行を好むべきや。縦ひ道塲に入て、恭敬礼拝専する人なりとも、我執の念すたらずは、何たる殊勝をなすとも、皆以て輪廻の業なり。去れは成仏堕獄は、心に有りて業になし。簡要は、唯正直の旨を守て、因果の理をしるへし。農業を勤むる者には、覚えす功徳ろなはれり。三宝を供養し、神明を祭て、国土万民世を持つ事、唯是れ耕夫の徳なり。畜類等に至る迄、此の徳受けざるはなし。是れ則ち我徳にむくはざらんや。かほど大功徳をなす農人、一心のむけやうあしくして、還て三悪道の業となす事、口をしきにあらすや。偏に道理を知て、一心を定むへし。夫れ農人と生を受くる事は、天より授け給へる世界養育の役人なり。
-
『驢鞍橋』卷上一日去る人来て曰く、某甲先祖以来餌指也、是れを止め候へば餓死仕る也。此業を以て成仏仕るやうに示し給へと云ふ。師曰、地獄には心が落つる也。鳥を殺すごとに我心をひつゝかんでは殺し殺しすべし。如是して一切の心を殺し尽さば成仏也。
-
万民徳用・農人日用・答後半去れは此の身を一筋に天道に任せ奉り、かりにも身のためをおもはずして、正しく天道の奉公に農業をなし、五穀を作出して、仏陀神明を祭り、万民の命をたすけ、虫類等に至る迄施すべしと大誓願をなして、一鍬一鍬に南無阿弥陀仏なむあみた仏と唱へ、一鎌一鎌に住して、他念なく農業をなさんには、田畑も清浄の地となり、五穀も清浄食と成りて、食する人、煩悩を消滅するの薬なるへし。天道此の人を守護したまはざらんや。若し貪欲の心に住して、一大事を忘れて農業をなさしめは、田畑も不浄地となり、作出す五穀も不浄食たるへし。善悪共にかならず本にむくふの理を能くしるべし。三毒の心を恣にする人には、天道の加護なくして、念仏信心有りて、念々怠らす、勇猛堅固の心に住せざる則は、福消えて災難来る、万人にいやしめられ、現世の苦患隙なくして、未来永劫、悪道に堕在せん事、何ぞ恐れざらんや。夫れ人間の一生涯は、夢の中の夢なり。楽身にあまるとも、楽はつべきにあらず。偏に一大事の理を知て、後世菩提に思ひ入り、勇猛の念仏間断なく、一念の中に農業をなさは、覚ゑす誠の心極つて、離相離名の徳そなはり、大解脱大自在の人と成りて、尽未来際、極楽浄土の快楽を受くべき事、是れをよろこばざらんや。信得せよ信得せよ。
-
万民徳用・職人日用・答答て云はく、何の事業も、皆仏行なり。人々の所作の上においては成仏したまふへし。仏行の外なる作業有るべからず。一切の所作、皆以て世界のためとなる事を以てしるへし。仏体をうけ、仏性そなはりたる人間、意得あしくして、好て悪道に入ることなかれ。本覚真如の一仏、百億分身して世界を利益したまふなり。鍛冶、番匠をはじめ、諸職人なくしては、世界の用所調ふべからず。武士なくして、世治るへからず。農人なくして、世界の食物あるべからず。商人なくして、世界の自由なるべからず。此の外所有事業出来て、世のためとなる。天地をさたじたる人もあり、文字を造出したる人も有り、五臓を分けて医道を施す人もあり、其の品々限なく出て、世のためとなるといへども、唯是れ一仏の徳用なり。如此ありかたき仏性を人々具足すといへ共、この理をしらずして、我と此の身を賤しくなし、悪心悪業を専として、好て悪道に入るを迷の凡夫とはいふなり。三世の諸仏出世ありて、衆生則ち仏なる事を直にしめしたまへり。眼に色を見、耳に声を聞き、鼻に香をかぎ、口に物を云つて、思ふ事の自由をなす、手の自由、足の自由、唯是れ一仏の自由なり。去る間、後世を願ふといふは、我身を信ずるを本意とす。誠に成仏を願ふ人ならば、唯自身を信ずべし。自身を信ずるといふは、自身則ち仏なれは、仏の心を信すへし。仏に欲心なし、仏の心に嗔恚なし、仏の心に愚痴なし、仏の心に生死なし、仏の心に是非なし、仏の心に煩悩なし、仏の心に悪事なし、如此の理を信せずして、私に貪欲を作出し嗔恚を発し、愚痴に住在して、日々夜々、我執我慢、邪見妄想を主として、彼に従て苦痛悩乱の心休む時なく、本有の自性を失て、一生空しく大地獄を造堅めて、未来永劫すみかとせん事、かなしまざるべけんや。是れを恐れ是れをなげきて、一大事のこゝろざしをはげまし、万念を放下して、所作所為の上に就て、切に急に真実勇猛の念仏を以て、自己の真仏を信仰せは、気の熟するに従て、自然に誠の心至極して、終に信得し究る時、覚ゑす無我無人無住所の境に入て、自己の真仏顕然たるべし。一筋に信仰せよ信仰せよ。
-
『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、今時の人仏法は悟らねば用に立たぬと思ふ也。其儀に非す。仏法と云ふは、只今の我心をよう用ひて、今用に立つる事なり。成程心を强う用ゆるを修行とす、心の强うなるほど次第に使はるる也。大に勤むれば大に徳有り、少し勤むれば少しの徳有り、譬へば万石取には及はねども、千石取らば百石取には勝るが如し。分々に徳を得る事也。扨亦悟入すれば、仏境界なりと思へり。そでも無き事也。縦ひ見解有るとも自由に使はるべからず。仏境界と云ふは各別の事也。只悟を求めずとも、修し行じて徳に至るべしと也。
-
『驢鞍橋』卷上是れは只今其方の心の輪廻するを以て知るべし。善念頓て悪念に成り、悪心も亦善心に成る也。天道より地獄に往き、地獄より天道に往く証拠是れ也。余の悪道を廻る事も如是。此念を離れて不生不滅なるを成仏と云ふ也。如是我と念根を修し尽して、成仏すること也。何として傍より其方の念を休めんや。强く眼を着け、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と命を限りにひた責めに責めて、念根を可尽すべし。総じて大なる悪、及ばさる望は休む物也、されとも兎角なにか有る物也。念根の切尽す事難し。然る間此糞袋を敵にし、念仏を以て申滅すへし。是れ念根を切る修行也。彼者云、然らば此身を離る事と心得て置くべきや。師呵して曰く、心得て置くは悪き也。仏道と云ふは心得て置く事に非す、身心を修し尽す事也。