驢鞍橋 / 卷上
一日語て曰く、我機去年の春の比迄は强き弓を張り立てたる如く、亦かんよき馬の翅出すを急度引詰めて居るやうに、機はづみ居ける也。今年は少し機の位おとなしく覺ゆ。たるむべき子細なし、少し熟したるかと思ふ也。
新字:一日語て曰く、我機去年の春の比迄は强き弓を張り立てたる如く、亦かんよき馬の翅出すを急度引詰めて居るやうに、機はづみ居ける也。今年は少し機の位おとなしく覚ゆ。たるむべき子細なし、少し熟したるかと思ふ也。
書き下し
一日語て曰く、我機去年の春の比迄は强き弓を張り立てたる如く、亦かんよき馬の翅出すを急度引詰めて居るやうに、機はづみ居ける也。今年は少し機の位おとなしく覚ゆ。たるむべき子細なし、少し熟したるかと思ふ也。
現代語訳
ある日語って言われた。私の気迫は、去年の春ごろまでは、強い弓を張り立てたように、また勢いのよい馬が駆け出そうとするのをきっと引き締めているように、弾んでいた。今年は少し気迫の位がおとなしく感じられる。たるむはずのわけはない。少し熟したのかと思う、と。
解説
晩年の正三が、自分の心の張りの変化を観察して語る。去年までは張りつめた弓や、今にも駆け出しそうな馬のようだった気迫が、今年は少しおとなしい。緩んだのではなく、熟したのだろう、と。若い頃の勢いが静かになることを衰えと見るか、成熟と見るか。力みが取れて落ち着いた強さに変わっていく過程を、自分の内側から冷静に見つめている。年齢とともに変わる自分の力の質を、見直すきっかけになる条である。
この章句が説くこと
成熟晩年気迫変化自己観察円熟
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下己の五月廿八日の暁曰く、御坊主達もきつと弓を張りたるか如く、張合の心出るや、扨て又痛い痒いと、一切に付ていやな体哉と、きつと境界と張合て居る心有るやと也。去る者、何某病気なるが、一定死に窮て居ると語る。師聞て曰く、扨ても强者哉、是れ貴き人也。老病究りても、心しに切れぬ物也。
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『驢鞍橋』卷上一日語て曰く、我は言句を聞くに、是れは理致にて分かる事、是れは意にて知る、言句によらぬ事ぢやと云ふ事が、聞きと早や胸にて分かる也。各々も修し行せられば、祖意も言句の意も移つるべし。扨亦機の移つると云ふ事知りめされたるか、我も四季の機抔は其儘移つる也。强く錬鍛へて心さへ磨くれば、四時の機も不浄も無常も移つる物なれども、皆機がういて走る程に移つるへき様なし。しつかとした機無くして修行成り難しと也。
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『驢鞍橋』卷下巳の七月十日暁云はく、仏像程に仕付て叶はす、我此の前は、强弓を引張つた如く有りけるか、今は左様になし。然れともたるむ筈なし。少し熟したるかとも思ふ也。又曰く、夢中ともいきをつくほどに大事に成り居れとも、まだあまのじやくか出る也。されどももはやことはせず、夫れは随分仕付て、面上はさせん也。强く守ていやな物哉いやな物哉もきつと睨付て居れども、何として此の体たが我物に成て、隙明かす、是れも普化の境界が乗りたて、修行やうたらぬと云ふことを知りたると也。
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『驢鞍橋』卷上一日曰く、我六十余に成りてより、心相の一つ替はる事有り、亡者を吊ふにひしと心に請取り、身に引懸けて弔ふ位有り、或は火中に飛込んで苦に代る心に成り、或は翅籠有るをつゝと出て助けんと思ふ機の位に成り、或は子供堀堆に落つるを飛込んで取つて指上げる心相に成り、中々强う請取る也。総して亡者弔ひに出づると早や機自ら果し眼に成る也。
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『驢鞍橋』卷上一日去る人来りて雑話の次てに、あはれ御歳を廿計りに仕りたしと云ふ。師聞て曰く、扨々いやな事哉。若き時の心にて、世に住まん事髄に透りて片時もいや也。若し我今の心にてならば苦からす。其故は此前一年の修行よりも、まだ今一日の修行が大切也。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、誰も憂き事に逢ふては死に度き事も有るべし。只栄耀にして機をへらし居られば、老ても命の惜き事は、若者と替りあるべからす。少々にして娑婆の隙明くべからず。其方達も十二時中眼をすゑ、拳を握り、せぼねを引立て、臍の下より勇猛の心湧出づる程に修すべしと也。