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驢鞍橋 / 卷上

一日語て曰く、我機去年の春の比迄は强き弓を張り立てたる如く、亦かんよき馬の翅出すを急度引詰めて居るやうに、機はづみ居ける也。今年は少し機の位おとなしく覺ゆ。たるむべき子細なし、少し熟したるかと思ふ也。

新字:一日語て曰く、我機去年の春の比迄は强き弓を張り立てたる如く、亦かんよき馬の翅出すを急度引詰めて居るやうに、機はづみ居ける也。今年は少し機の位おとなしく覚ゆ。たるむべき子細なし、少し熟したるかと思ふ也。

書き下し

一日語て曰く、我機去年の春の比迄は强き弓を張り立てたる如く、亦かんよき馬の翅出すを急度引詰めて居るやうに、機はづみ居ける也。今年は少し機の位おとなしく覚ゆ。たるむべき子細なし、少し熟したるかと思ふ也。

現代語訳

ある日語って言われた。私の気迫は、去年の春ごろまでは、強い弓を張り立てたように、また勢いのよい馬が駆け出そうとするのをきっと引き締めているように、弾んでいた。今年は少し気迫の位がおとなしく感じられる。たるむはずのわけはない。少し熟したのかと思う、と。

解説

晩年の正三が、自分の心の張りの変化を観察して語る。去年までは張りつめた弓や、今にも駆け出しそうな馬のようだった気迫が、今年は少しおとなしい。緩んだのではなく、熟したのだろう、と。若い頃の勢いが静かになることを衰えと見るか、成熟と見るか。力みが取れて落ち着いた強さに変わっていく過程を、自分の内側から冷静に見つめている。年齢とともに変わる自分の力の質を、見直すきっかけになる条である。

この章句が説くこと

成熟晩年気迫変化自己観察円熟

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