驢鞍橋 / 卷下
去る曉、不圖衆中に向て曰く、我口惜しく思ふこと有り、刀には本阿彌ありて、似本銘を分ち價を付く、手筆も源ありて似正筆を分つ、諸道皆如是なる間癈れず。是れ御下知正しき故也。然るに佛法計源なく目利する人無き故に、人人我佛法計にて廢れ果ること、全身口惜しく思ふ也。是れ偏に佛法計御捨有りて、人人有度儘にあらせ給ふ故也。この段是非とも訴訟申し上けんと思ふこと、胸を破て出るほど思へとも、終に天道に許されす。當君の御十五に成り給はば、御仕置遊はれんずか、御二十ならば、直目安かつがれんずか、乍去も早や我命つまれりと也。又曰く、何と御老中の廣間迄、佛像を持出て、佛法はまつかくの次第也と云はんか抔と思へども、是れも便を得ず。只打腐て果る也。我は頓て無くなる間、御坊主達聞き置てくれめされよと也。
新字:去る暁、不図衆中に向て曰く、我口惜しく思ふこと有り、刀には本阿弥ありて、似本銘を分ち価を付く、手筆も源ありて似正筆を分つ、諸道皆如是なる間癈れず。是れ御下知正しき故也。然るに仏法計源なく目利する人無き故に、人人我仏法計にて廃れ果ること、全身口惜しく思ふ也。是れ偏に仏法計御捨有りて、人人有度儘にあらせ給ふ故也。この段是非とも訴訟申し上けんと思ふこと、胸を破て出るほど思へとも、終に天道に許されす。当君の御十五に成り給はば、御仕置遊はれんずか、御二十ならば、直目安かつがれんずか、乍去も早や我命つまれりと也。又曰く、何と御老中の広間迄、仏像を持出て、仏法はまつかくの次第也と云はんか抔と思へども、是れも便を得ず。只打腐て果る也。我は頓て無くなる間、御坊主達聞き置てくれめされよと也。
書き下し
去る暁、不図衆中に向て曰く、我口惜しく思ふこと有り、刀には本阿弥ありて、似本銘を分ち価を付く、手筆も源ありて似正筆を分つ、諸道皆如是なる間癈れず。是れ御下知正しき故也。然るに仏法計源なく目利する人無き故に、人人我仏法計にて廃れ果ること、全身口惜しく思ふ也。是れ偏に仏法計御捨有りて、人人有度儘にあらせ給ふ故也。この段是非とも訴訟申し上けんと思ふこと、胸を破て出るほど思へとも、終に天道に許されす。当君の御十五に成り給はば、御仕置遊はれんずか、御二十ならば、直目安かつがれんずか、乍去も早や我命つまれりと也。又曰く、何と御老中の広間迄、仏像を持出て、仏法はまつかくの次第也と云はんか抔と思へども、是れも便を得ず。只打腐て果る也。我は頓て無くなる間、御坊主達聞き置てくれめされよと也。
現代語訳
ある明け方、ふと衆に向かって言われた。私には口惜しく思うことがある。刀には本阿弥があって、偽物と本物の銘を見分けて値を付ける。書にも源があって、偽物と真筆を見分ける。諸道はみなこのようであるから廃れない。これはお上のお指図が正しいからである。それなのに、仏法ばかりは源がなく、目利きする人がいないので、人々がそれぞれ自分勝手な仏法ばかりで廃れ果てること、全身で口惜しく思うのである。これはひとえに、仏法ばかりはお捨て置きになって、人々のしたいままにさせておられるからである。この件をぜひとも訴え申し上げようと、胸を破って出るほど思うけれども、ついに天道に許されない。今の将軍様が十五になられたら、ご処置あそばされるだろうか、二十になられたら、直訴状をかつげるだろうか。とはいえ、もう私の命は詰まった、と。また言われた。いっそ御老中の広間まで仏像を持ち出して、仏法はまさにこのような次第です、と言おうか、などと思うけれども、これも手立てを得ない。ただ腐り果てるばかりである。私はやがていなくなるから、御坊主たちよ、聞いておいてくだされよ、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上夜話に曰く、我仏法興隆の御政道、御公儀へ訟へ奉り度思へども、未だ天道に不許、先つ先祖先達血の涙を流し、修し行し残し置かれたる処の仏法、御下知なき故に廃れ果り、是れを御捨てなされ、御外護に預からさる事、我等の迷惑是れにすぎす。兎角御下知無くては仏法正理なるべからす。偏に仏法正理なるやうに御下知仰き奉ると、指出□□御訴訟申上度事大願也。
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『驢鞍橋』卷下午の極月、夜話の次で曰く、仏法の御政道、如何にしてか御公儀へ訴へ奉らんとありければ、一僧曰く、無理に此方より申し上るとも、あなたより思召より無くんば、用に立つべからず。何とずあなたより召出さるゝ様な方便有らば然るべしと云ふ。師呵して曰く、夫けなたわけたことを、我前にて能く云はるゝこと也。我旨を知るべからず、是非に於て一命を捨て申し上けんと切れ切つて居る也。誠に云はるゝ物ならば、幽霊に成てなりとも申上け度く思ふ也。そのあなたより思召より玉ふ方便する抔と云ふことに非す。何とあらんとも、是非に申し達せんと云ふ機胸に指張て居る也。我旨を知るべからずと、大に呵し給ふ也。
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『驢鞍橋』卷下良有て曰く、内々聞きしこと、其地の修行者衆、我物語を聞き得たる人一人も□なし、皆違つて居ると云ふ。何れも我前にては聞かるゝやうなれども、或は法語々録等を見て、人人仏法を修し、我法を修する人なし。しかも我物語をも、是等と一つに思へり。我云ふはずつきと別也。只牙咬をして死ぬこと一つを窮むること也。誠に若き時より八十迄如是用ゐ来る計也。更に仏法に非ず。我もそつと若くんば、其地へ上り、我物語を聞きし人人に往き逢ひ、正三か物語を聞きたと云ひめさるゝな、皆ちかへり必す沙汰めさるゝな。正三が沙汰ふつゝといやなりと云ひ渡し度思ふと也。
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『驢鞍橋』卷下夜話の次曰く、御公儀より諸宗を集め、問答決釈して正理を立つべしと有らば、出て自由に云ふ人も有らんや。一僧曰く、中々口にて云ふことは上手多かるべし。喩へば我悟りたり抔と云て活達を働かば、法の諸訛分ち難かるべし。師曰く、出て云ふ人も有らば、其方の言分書付て判をして出しめされよと、名判させ取るべし。我も書付名判して互に末世に残し、今ころ明眼の人なく、是非のつけてなくとも、後来眼有る人の批判にせよと云つて如是す、是一つ。又三世の諸仏大小の神祇を申し下し、証拠人にして、互に血判して境界の長を懺悔する、是れ一つ。又互に語を出しめさる、是れ一つ也。なにと御坊主達、心得めされたるか、笑止なることは、只くどついて居らるゝ間、人に教ゆることもなるまじきかと思ふ也。扨て扨て無き物哉。吾か様な田夫野人が如是云ふこと、事の欠けたること也。
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『驢鞍橋』卷下去る暁曰く、扨てもいやな体哉と飽き果て居る也。またも法が何とず起らんずかと思ふてかくしても居ると也。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、道を知らぬは是非も無き事也。今時侍の子どもが出家して、死人の皮を剝ぎ、世を渡る者多し。究めたる非興也。菩提の為めには出家然るへし。身過の為めには非義也。百石も望むこそ苦なれ、身一つ過ぎる分は安き事也。必ず志なく無道心にして出家し、人の信施を受くへからす。一向足軽にてもして過ぎたるか能き也。世間を以て地獄に入りたるは、仏法を以て救ふ頼みあり、仏法を以て地獄に入りたる者、なにを以て救ふへきや。永劫浮ふへき便り無しと也。