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驢鞍橋 / 卷下

一日、僧問ふ、師常に修行の爲めには侍好し、出家却て惡しと云つて、人の剃るを嫌ひ給ふが、何として自らは剃り給ふぞと云ふ者有り、如何か答へ申すべきや。師聞て曰く、何れも云て看よ。一僧曰く、佛法を起すには、俗よりも出家德大なる故なるべし。師曰く、其儀に非す。正三は只因果にて剃りたり。定て正三は出家に成る因果こう有りつらん。無体に剃度してそりたる也。因に曰く、然るに此の因果の理を辨へず佛法を聞かば、皆出家に成ると云ふ。又病者と成り、機違と成ると云て、法に咎を付る者有り、究めたる惡見也。是れ法の咎に非ず、皆前世の因果也。その故は法を聞かざる者にて機違有り、病者有り、盲目と成る者有り、是は何の咎と云はんと也。

新字:一日、僧問ふ、師常に修行の為めには侍好し、出家却て悪しと云つて、人の剃るを嫌ひ給ふが、何として自らは剃り給ふぞと云ふ者有り、如何か答へ申すべきや。師聞て曰く、何れも云て看よ。一僧曰く、仏法を起すには、俗よりも出家徳大なる故なるべし。師曰く、其儀に非す。正三は只因果にて剃りたり。定て正三は出家に成る因果こう有りつらん。無体に剃度してそりたる也。因に曰く、然るに此の因果の理を弁へず仏法を聞かば、皆出家に成ると云ふ。又病者と成り、機違と成ると云て、法に咎を付る者有り、究めたる悪見也。是れ法の咎に非ず、皆前世の因果也。その故は法を聞かざる者にて機違有り、病者有り、盲目と成る者有り、是は何の咎と云はんと也。

書き下し

一日、僧問ふ、師常に修行の為めには侍好し、出家却て悪しと云つて、人の剃るを嫌ひ給ふが、何として自らは剃り給ふぞと云ふ者有り、如何か答へ申すべきや。師聞て曰く、何れも云て看よ。一僧曰く、仏法を起すには、俗よりも出家徳大なる故なるべし。師曰く、其儀に非す。正三は只因果にて剃りたり。定て正三は出家に成る因果こう有りつらん。無体に剃度してそりたる也。因に曰く、然るに此の因果の理を弁へず仏法を聞かば、皆出家に成ると云ふ。又病者と成り、機違と成ると云て、法に咎を付る者有り、究めたる悪見也。是れ法の咎に非ず、皆前世の因果也。その故は法を聞かざる者にて機違有り、病者有り、盲目と成る者有り、是は何の咎と云はんと也。

現代語訳

ある日、僧が尋ねた。師はいつも、修行のためには侍がよく、出家はかえって悪いと言って、人が剃髪するのを嫌われるが、どうしてご自分は剃られたのか、と言う者がいます。どう答えればよいでしょうか。師は聞いて言われた。みな、言ってみなさい。一人の僧が言った。仏法を起こすには、俗人よりも出家のほうが徳が大きいからでしょう。師は言われた。そうではない。正三はただ因果で剃ったのである。きっと正三には出家になる因果があったのだろう。無理やりに剃度して剃ったのである。ついでに言われた。ところが、この因果の道理をわきまえず、仏法を聞けばみな出家になると言う。また病人になる、気違いになると言って、法に咎を付ける者がいる。きわめた悪い見方である。これは法の咎ではない。みな前世の因果である。そのわけは、法を聞かない者にも気違いがおり、病人がおり、盲目になる者もいる。これは何の咎と言うのか、と。

解説

人の出家を止めながら自分は出家したのはなぜか、という批判に、正三は、立派な理由ではなく、ただ自分にはそういう因果があったのだ、と答える。自分の選択を正当化も美化もせず、因果として淡々と受け止める。そして、仏法を聞くと出家したり病気になったりすると非難する人には、法を聞かない人にも病気や不幸はある、それは法の咎ではない、と反論する。原因と結果を取り違える論理の誤りを突いた、明快な答えである。

この章句が説くこと

因果出家言行の矛盾論理率直

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