驢鞍橋 / 卷上
一日或武士に示して曰く、佛法なくして武勇つかはるへからす。血氣の勇は何程强しと云ふとも、とこぞに臆病なる處有るへし。我も高き坩の上に立て下を見れは、足振へて臆病出づる也。佛法修行なくんば、大丈夫の漢と成るべからすと也。
新字:一日或武士に示して曰く、仏法なくして武勇つかはるへからす。血気の勇は何程强しと云ふとも、とこぞに臆病なる処有るへし。我も高き坩の上に立て下を見れは、足振へて臆病出づる也。仏法修行なくんば、大丈夫の漢と成るべからすと也。
書き下し
一日或武士に示して曰く、仏法なくして武勇つかはるへからす。血気の勇は何程强しと云ふとも、とこぞに臆病なる処有るへし。我も高き坩の上に立て下を見れは、足振へて臆病出づる也。仏法修行なくんば、大丈夫の漢と成るべからすと也。
現代語訳
ある日、ある武士に示して言われた。仏法がなくては、武勇を使いこなすことはできない。血気の勇は、どれほど強いと言っても、どこかに臆病なところがあるものだ。私も高い崖の上に立って下を見れば、足が震えて臆病が出てくる。仏法の修行がなければ、大丈夫の男にはなれない、と。
解説
血気の勇、つまり勢いや感情から出る勇気は、どれほど強くても、どこかに臆病な面を残している、と戦場を経験した正三は言う。そして自分自身も、高い崖の上では足が震えると告白する。本当の勇気は、生まれつきの気の強さではなく、修行によって培われるものだ、という主張である。勢いで押し切るタイプのリーダーほど、想定外の局面で脆さを見せることがある。心の修練に裏打ちされた強さを求める教えだ。
この章句が説くこと
武勇血気の勇臆病修行大丈夫武士
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、誰も憂き事に逢ふては死に度き事も有るべし。只栄耀にして機をへらし居られば、老ても命の惜き事は、若者と替りあるべからす。少々にして娑婆の隙明くべからず。其方達も十二時中眼をすゑ、拳を握り、せぼねを引立て、臍の下より勇猛の心湧出づる程に修すべしと也。
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『驢鞍橋』卷上師一日示して曰く、近年仏法に勇猛堅固の大威勢有ると云ふことを唱へ失へり。只柔和に成り、殊勝に成り、無欲に成り、人能くはなれども、怨霊と成る様の機を修し出す人無し。何れも勇猛心を修し出し、仏法の怨霊と成るべしと也。
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『驢鞍橋』卷上一日武士来て法要を問ふ。師示して曰く、後世を願ふと云ふは、此糞袋を何とも思はず打捨つる事也。是れを仕習ふより別の仏法を知らす、我は若き時より是れ計りを仕習ひし也。先づ千騎万騎抜きそろへたる備の中に超入り、胴腹を撞きぬかれて、死に死にして死習ひしに、是れは頓て仕習ひて超入られたり。亦谷底に大蛇口を張り居るに飛込み、角に取着き居習ふに、是れも頓て仕習ひて角に取着き居られたり。爰になにもなき坿の下ヘ、只落ちて死んで見るに、中中張合無くして飛ばれさる也。然れとも此比になつて少し飛ばるゝかと思ふ也。各々もなにとも思はず、自由に捨らるゝ程さまざま工みて、此身を捨習はるべし。なる程强き心を用ゐすして叶ふべからずと也。
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『驢鞍橋』卷上一日若き侍衆に示して曰く、若い衆血気を頼にして、修せずともと思ふ事莫かれ。修して損はをり無いぞ、强いは强いほと强う成り、弱いは次第に强うなる也。亦曰、强い心を以て作す時は、何をなしても天然と能き物也。然れども、分別にてせねばと云ふ機捨てえぬ物也。
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『驢鞍橋』卷上夜話に曰く、若き時より用付けたる故か、我法も武勇には自由に使はるへしと思ふ也。相手有れは張合ひにて捨て安きが、何も無き坩の下へ只落ちて死ぬ事はならぬ也。是を以て思ふに只仏法の内に身を捨つる事は難き也。故に四十二章経にも命を捨て必す死する事難しと説き給ふ。実にと死する者に命を捨て死し行く者多くは有るへからす。皆命を惜み死し行くなるべし。扨々大事の事也。御坊主達常に命を捨てて居付けらるべしと也。
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『驢鞍橋』卷下因に曰く、修行と云ふは、機を抜さぬこと一つ也。喩へば機を抜し居る時は、大勢にときをとつと上られては、其儘機を取られて、ぐつとひしげる物也。扨て又機を抜さず居る則んば、大勢にわつと云はれては、其儘その声に乗つてわつと云ふて懸らるゝもの也。大勢の声が却て味方の力に成る物也。何たる强者なりとも、機を抜して居らば、二の息に成るべし。又抜さず守り居ん時、思懸なき処にて、人わつと云へば、其の声に乗て、わつと云つて驚く心少しも有るべからずと也。